再生建築の設計者に向けた既存建物の記憶を継承するための評価軸の立案
既存建物における体験時の記憶に着目して
記憶の継承 -TOKYO TOWER-
平岡研究室
2021 年度卒業
建築を再生する際に、建築が蓄積してきた魅力や歴史性を活かすための手法は今一度見直されるべきである。 本研究では、既存建物を「再生建築」として改修する際に、設計者が、「記憶を残しやすい」/「記憶を残しにくい」建築操作の判別が可能になる評価軸を作成することを目的とする。 そして、作成した評価軸の有効性を検証するためのケーススタディとして、東京タワーの再生計画を考案する。

はじめに

研究の目的

本研究では、再生建築の体験時に既存建物に対する記憶を共感覚を引き起こす建築操作を明らかにする。それを踏まえ、既存建物を「再生建築」として改修する際に、設計者が、「記憶を残しやすい」または「記憶を残しにくい」建築操作の判別が可能になる評価軸を作成することを目的とする。

本研究での既存建物に対する記憶を想起する対象者は、再生建築の改修前後の変化または情報を把握していることを条件にする。立案する評価軸は、そこで起きたエピソードには着目せず、建物自体に対しての記憶が継承されているか否かを評価観点とする。評価軸により、既存建物を再生させる設計段階において、記憶にある佇まいなどを残すための判別基準を構築することを狙いとする。

再生建築の設計段階で、設計者が、既存建物の記憶を継承するために手を加える建築操作を判別するために「評価軸」を用いることを目指す

 

用語の整理

・共感覚:

通様相性やクロスモーダルという言葉と類するもので、例えば冷たいものに触れた際に水色などが連想されるといったように、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる現象を示す心理学用語である。五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。本研究では、再生建築として新しく蘇らせた建物に対し、不特定多数の人間が共通意識として既存建物の建物部位や空間に抱く記憶や感覚を想起することを共感覚として扱うものとする。

 

・再生建築:

改修、増築、修繕、コンバージョン、リノベーション、リフォーム、リファイニング、リファービシュメント、リモデリングといった、建物を後世に継いで利用する行為のことを総称して示す。

 

・建築操作:

改築、改修、減築、増築、増設といった建物に手を加えることを総称して示す。

 

研究の背景

建築のストック化や人口減少社会への突入により、2000年頃から、既存建物に新たな価値を与えて再活用するリノベーションなどの建築再生運動が流行するようになった。そこから建築の再生という行為は既に一般的にも定着しつつある。

そこから20年経過した2020年、政府は、カーボンニュートラル宣言をした。この宣言によって、再び建築のストック活用と改修・再編に対する重要性が問われている。

そのような下で、建物を再生する際に、建物が蓄積してきた魅力、歴史性を活かすための手法は今一度見直されるべきであると考える。

本研究では、人々の親しみが深い歴史のある建物や多数の人間の共通資産としてポテンシャルある既存の建物に対する記憶を活かしきれるような方法を探ることを目指していく。

 

  • 継承の必要性

建物は居住や財源地としてだけではなく、不特定多数の人間に共通の記憶や価値観を与える役割も果たす。すなわち、建物を知る者同士のつながりを生み出したり、その地域の特徴を生み出したりする資産となる。人々の親しみが深い既存建物を後世に向けて繋いでいくことは、共有資産を受け継ぐことと同等の価値があり、ここに既存建物を継承していく上での意義が考えられる。

  • 建築再生の効果

既存建物の記憶の継承には、保存などの手段も考えられる。しかしながら、建築設備の老朽化や機能の変化などによって、全ての既存建物をそのままの状態で維持したり復元したりすることは困難である。したがって、既存建物の継承には、残すべき価値あるものを取捨選択し、再生していくことが求められると考えられる。

調査

研究のフロー

まず、本研究の位置付けをするために、既往研究と再生建築に関わる実践例及び法律の系譜を整理する。

次に、既存建物に対する記憶を共感覚として呼び起こし得る建築操作を捉えるために、再生建築の事例を対象として、建築操作を分析する。建築操作の分析のための作業内容は、再生建築の既存建物に対する有形の記憶(実際に残っている部位やシンボルパーツ、素材感等)と無形の記憶(動線や視線等)を図面や写真、言説情報から可視化して抽出するために、建築操作の解析シートの作成を行う。抽出作業を行う際に、どのような部分に記憶が残っている/記憶が残っていないと判別されるかについては、再生建築にすることによるメリット/再生建築を選択する起因となった建築的問題点/施された空間操作/具体的に残されている部位/新設された部位の5項目から行い、共感覚として呼び起こし得る建築操作を判別していく。

そして、評価項目及び評価軸の作成を行う。これは、事例収集・分析において、共感覚として呼び起こし得る建築操作として重複して出現する項目を踏まえ、類似するものをグルーピングして構成していく。

さらに、評価軸の有効性を検証するためのケーススタディとして実際にある敷地を選定し、設計を行う。作成した評価軸に基づいて、残すべき部分/残さなくても良い部分を判別し、建築の再生を図っていく。

最後に、ケーススタディの設計過程を踏まえて、作成した評価軸の有効性や要素の過不足について考察を行っていく。

研究のフローチャート

 

事例の収集・分析方法と評価軸の設定方法

再生建築の事例収集・分析方法

建築雑誌「新建築」「新建築住宅特集」を対象とし、住宅性能表示制度が施行された年から現在に至るまでの間に掲載されている再生建築事例を分析対象とする。

建築雑誌は一定期間内に定期的に刊行されている資料であるため、建築作品を通時的に把握することができる。本研究では、建築雑誌を研究対象として取り扱うものとする。

掲載年月の期間は、2002年1月号〜2020年11月号とする。2002年を区切りの年とするのは、住宅性能表示制度が施工されたことによって、既存建物の活用がより安易にできるように変化し、再生建築の事例数も増えたためである。また、事例は、具体的な改修前後の様子が図面及び写真情報から読み取れるものに限ってピックアップする。

ピックアップした30事例

 

評価軸の設定方法

評価項目は、事例収集・分析の結果、複数事例で挙げられる共感覚として呼び起こしやすいと考えられる建築操作を類する同士でまとめて構成していく。評価軸は、評価項目の中でも更に類すると考えられる項目をグルーピングして作る。

事例の分析から評価項目の作成までのフローを示す

 

事例の分析と評価項目の作成

建築雑誌からの再生建築30事例の分析によって、「記憶を残しやすい」「記憶を残すことに影響を与えないもしくは残しにくい」と考えられる建築操作の判別を行った。そして更に記憶を残しやすいと考えられる建築操作を共通点が考えられる要素同士でグルーピングし、評価項目の作成を行った。

建築操作を整理した結果、評価項目は運動感覚(Ⅰ)、調和性(Ⅱ)、素材性(Ⅲ)、部位(Ⅳ)の4項目にグルーピングできると考えた。

運動感覚(Ⅰ):動線計画や昇降、視線誘導といった身体動作を誘導する建築操作

調和性(Ⅱ):建物のスケールの維持や類似的な色味、空間やファサードの形状の選択といった、既存建物との対比にもつながる建築操作

素材性(Ⅲ):建物に用いる素材を選択する建築操作

部位(Ⅳ):開口部や主要構造部などといった、建築部位を残す建築操作

 

評価軸の作成

評価項目を更に共通点が考えられるもの同士でグルーピングし、再生建築の設計者が共感覚として呼び起こし得る建築操作や部位を容易に取捨選択できるようにすることを試みた。

まず、スケールとは、評価項目における調和性(Ⅱ)と部位(Ⅳ)に当たるものとする。全体または部分的な規模感や形状、色味が調和しているかどうかを判別する軸である。

次に、速度性とは、評価項目における運動感覚(Ⅰ)と素材性(Ⅲ)に当たるものとする。そこに内包された速度感に焦点を当てたものをまとめている。階段やエレベーターによって昇降をしたり、建物を移動したりすることによって伴う体感時間の長さや、素材の風化や劣化のスピードを判別する軸である。

また、高さとは、評価項目における視線誘導(Ⅰ-D)、ファサード(Ⅱ-D)、開口部(Ⅳ-A)、柱や梁などの部位(Ⅳ-B)、見えなかった部分の顕現(Ⅳ-D)に当たるものとする。アイレベルからの高さの影響を受けている部分の継承有無を判別する軸である。

最後に、時間とは、評価項目における運動感覚(Ⅰ)と調和性(Ⅱ)、素材性(Ⅲ)、部位(Ⅳ)に当たるものである。時間の経過と共に記憶を継承するかを表す。

評価軸の作成結果を示す

 

事例の分析から評価項目の作成までをまとめた表

建築操作のヒエラルキー化

事例の分析から得られた建築操作を数量的に並べ直すことで、共感覚として呼び起こしやすい/呼び起こしにくい建築操作のヒエラルキーを作成した。ヒエラルキーは上にいくほど共感覚を呼び起こしやすい建築操作となっている。視線誘導の類似やファサードの類似、全体のスケール/部分的なモジュールの類似といった項目が上位に挙がるということが分かった。

共感覚を引き起こす建築操作のヒエラルキー。上位に上がってくるものほど、記憶を継承する建築操作であると考える。

 

評価軸のチャート化

作成した評価軸をチャート化し、作成した建築操作のヒエラルキーを元に、再生建築の設計者が共感覚として呼び起こし得る建築操作や部位を容易に取捨選択できることを可能にするもう1つのツールを作ることを試みた。

チャート表の作成の結果、継承部分としては、再生する建物のスケールに合わせて残す箇所の取捨選択を行うとともに、存在している高さの範囲がアイレベルに近い部分や速度性が速いものを残すことが既存建物に対する記憶を共感覚として呼び起こし得る操作につながると考えられた。

右に近づくほど、記憶を継承する建築操作となる

 

評価軸の使い方

既存建物を作成した評価軸及びチャート表に照らし合わせて、残すべきだと判別される建築操作を抽出し、それをリンクさせた既存建物の継承ポイントとなる空間である継承エレメントを生み出す。そして、その継承エレメントを組み合わせることで再生建築を構成する。

研究方法

ケーススタディ

作成した評価軸及びチャート表が、既存建物を再生させる設計段階において記憶にある佇まいなどを残すための判別基準となり得るのかの検証をする。そのために、ケーススタディとして設計を行っていく。

 

敷地の選定

敷地は、主に以下の3つの理由から東京タワーを設定する。

  • 東京スカイツリーに電波塔の役割が移り、本来求められていた機能が失われつつある。
  • 建設から60年以上と老朽化が進む。再生方法を考えるタイミングである。
  • 東京ないし日本の象徴的な建造物であり、建物の記憶を継承するという点で研究目的とリンクする。

設計手法

作成した評価軸及びチャート表に基づき、東京タワーの継承する建築操作と反対に残さなくても良いと判別された建築操作を整理する。そして、東京タワーの継承する建築操作の整理から、建物形状を決めていく骨格となる、継承ポイントを空間化(以下継承エレメントと呼ぶ)した。建物内を巡ることによって、東京タワーの継承ストーリーを体験できる。視線誘導を継承する空間や塔の内側に入るアクティビティ空間、敷地周辺とつながるトラスの空中歩廊などを考えた。

設計工程

評価軸及びチャート表に基づき、残すべきだと判別された東京タワーの建築操作

 

残すべきだと判別された建築操作とリンクした継承空間

 

点在する継承エレメントを連続的な空間時系列としてまとめたもの。建物内を巡ることによって、東京タワーの継承ストーリーを体験できるようになる。

 

視線誘導を継承する空間や塔の内側に入るアクティビティ空間、敷地周辺とつながるトラスの空中歩廊など

 

まとめ

評価軸を設計に用いた成果

東京タワーの再生計画を通して、評価軸の活用に対して、対象敷地の継承すべきポイント/継承しなくても良いポイントを明確に捉えられるという効果を得ることができた。加えて、建物自体の記憶を継承するための建築操作の取捨選択が行いやすくなった。評価軸が、取捨選択の指標となることで、無駄な操作を省くことが期待できると考えられた。

 

評価軸の項目の過不足についての考察

今回ケーススタディとして取り扱った既存建物の題材は、スケールが大きな建物であった。そのため、全体的に散りばめられる「継承エレメント」がバラバラな点になってしまわないように、それらを面として統合させる作業が必要であった。ケーススタディにおいては、共感覚として呼び起こしやすい建築操作のヒエラルキーで上位に挙がった視線誘導をピックアップし、建物全体の形状をダイアグラム化していった。したがって、評価軸の作成においても建物のスケールが大きくなる場合には、「継承エレメント」をどのようにつなげて面を捉えるべきなのかの考慮がさらに求められると考えられた。そして、その考慮の際には、前述した共感覚として呼び起こしやすい建築操作のヒエラルキーが利用できると考えられた。

参考文献

・藤永保「最新 心理学事典」平凡社、2013.12

・環境省.”カーボンニュートラルとは”. 脱炭素ポータル.2021-7.https://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/about/(2021.11.17参照)

・王揚,松本邦彦,澤木昌典「コンバージョン店舗への改修震災の歴史的市街地における景観保全の効果と課題-天津市の五大道歴史文化街区を対象として-」日本建築学会計画系論文集第766号、日本建築学会、2019、pp.2617-2627

・山岸輝樹,広田直行,畑真由香,湯水紀子「既存校舎を活用した学校・社会教育施設の複合・拠点化による公共施設再編手法に関する研究」日本建築学会計画系論文集第742号、日本建築学会、2017、pp.3061-3071

・秋山徹,角田誠,青木茂「賃貸共同住宅の使いながらの改修工事における工事内容・手順の検討-H6ビルディングを事例として-」日本建築学会技術報告集第61号、日本建築学会、2019、pp.1263-1268

・中井恵利加,山口満「記憶対象と記憶原因からみた住宅の記憶に表れる空間性に関する研究」日本建築学会計画系論文集第590号、日本建築学会、2005、pp.1-8

研究を終えて

コロナ禍の学生生活の中、なかなか思い通りに進められなかった部分もありましたが、追求してみたかったことを研究することができました。

本研究を進めるに当たり、熱心にご指導いただきました平岡教授に深謝いたします。また、副査として井上教授、舟引教授に貴重なご指導とご助言を賜りました。心から感謝申し上げます。

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