大島を未来へ繋げるために
島の可能性を伝える少年自然の家の提案
髙橋ななは
平岡研究室
2023 年度卒業
2019年4月7日、大島と気仙沼港をつなぐ「大島大橋」が架かり、観光客が大幅に増加した。大島にはそれを受け入れる旅館・ホテルが少なく、宿泊数の増加につなげられていない課題がある。現在、震災・海・大島を知らない子供のために大島少年自然の家を設計した。大島自然の家で自然や震災復興の経験を得ることで、震災を風化させない、リピーター・観光客をつくり、大島の新たな発展を促すことを期待する。

はじめに

宮城県気仙沼市に位置する大島は、東北最大の離島である。自然に囲まれた緑豊かな美しい島であり、気仙沼湾に浮かぶ「緑の真珠」と呼ばれている。

2019年4月7日、大島と気仙沼港をつなぐ「大島大橋」が架かった。車での移動が可能になり、観光客が大幅に増加した。しかし、大島にはそれを受け入れる旅館・ホテルが少なく、宿泊数の増加につなげられていない課題がある。現在、震災・海・大島を知らない子供が大勢いる。今ある大島の自然を生かし、少年自然の家を設計することにした。大島自然の家で自然や震災復興の経験を得ることで、震災を風化させない、リピーター・観光客をつくり、大島の新たな発展を促すことを期待する。

調査

野外教育施設には、「独立行政法人国立青年の家」「公立青年の家」「独立行政法人国立少年の家」「公立少年自然の家」があり、どれも目的や事業が異なる。今回、公立少年自然の家を選択した。公立少年自然の家は、少年(義務教育諸学校の児童生徒)を自然に親しませ、健全な少年の育成を図る目的がある。独立行政法人国立少年自然の家も、自然に親しませる目的があるが、国立少年自然の家は宮城県内にすでにあり、追加で建設できない。公立少年自然の家は都道府県ごとに事業が異なり、宮城県立自然の家は宮城県の雄大な自然の中での活動を通して、広く県民の心身の健全な発達と心豊かでたくましく生活する実施力の向上を図る事業を展開している。

宮城県内には5つの野外教育施設がある。宮城県が運営する青少年自然の家には、志津川自然の家、松島自然の家、蔵王自然の家の3つがあり、仙台市の少年自然の家に泉ヶ岳自然ふれあい館、独立行政法人国立青少年の家に国立花山青少年自然の家がある。松島自然の家は、松島町宮古島に位置する。大島に自然の家を建てるうえで、海、島の特徴が同じ施設である。志津川自然の家は海洋型の自然体験活動を行うことができる東北唯一の社会教育施設である。泉ヶ岳自然ふれあい館は、仙台市内の小中学校が団体で利用する「少年自然の家」の機能に加え、泉ヶ岳の自然に親しむ市民や登山利用者への情報提供を行う施設である。

2011年3月11日東日本大震災時、津波が大島を襲った。大島は標高が低いため、観光地の小田の浜を中心に田中浜と浦ノ浜漁港が浸水し、大島は3つに分かれた。津波の被害がなく、主要エリアと近い敷地を検討する必要がある。

研究方法

大島の年平均気温は10度である。夏の日の平均気温は23度と比較的気温が低く、冬は夏の降水量と比べ、降雪量も少ない。

計画地は震災以降仮設住宅があった土地で、現在は空地になっている。震災復興を学ぶ上で重要な場所だ。休暇村のキャンプ場と隣接し、簡単に移動できる距離である。また、休暇村を利用する観光客が大島を知る施設として訪れる可能性がある。観光地の浜や亀山の近くにあるものの津波浸水エリアに該当しない場所である。休暇村は、もともと国が運営しており、現在は完全民営化されたリゾートホテルである。自然の家と似ている機能が多かったが、目的・活動プログラム・価格・施設の設備に違いがあると考えた。

地域性を生かした活動プログラムを考える。休暇村と協定を結び、休暇村キャンプ場を共同で利用する。気仙沼市内には野外教育施設はないため、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の見学、震災復興語り部ガイド、防潮堤ガイドなど防災体験活動プログラムを取り入れる。施設内に大島学びの場を設ける。観光情報だけでなく、「大島学びの場」として大島の歴史や文化、島の暮らし、震災復興の様子をプロジェクターやパンフレット、写真等で展示する。研修室でより詳しい授業を行い、大島を実際に見て回る。大島全体を野外教育のフィールドとし、復興後の大島の変化や自然災害を学習することができる。

設計コンセプトは3つある。一つ目は、「空」である。今回の敷地は、山に囲まれた地形から光が遮断される。夜は屋根に登り、星を観察する。宿泊場所は、日光が入るように西側斜面に設計する。二つ目は、「山の緑との調和」である。緑の真珠と呼ばれる自然を生かし、山と一体化する建築をデザインする。三つ目は、「集いの場」としての機能である。観光客への観光情報や島民が集まる場所を提供する。学びの場には誰でも入場可能とし、定期的な講演会を行う。

まとめ

大島自然の家により、宮城県内の子供が大島を訪れるようになる。普段、都会で暮らす子どもたちにとって自然に触れる数少ない時間だ。震災、自然、島の暮らしを体感し、見え方・考え方・価値観を変える機会を得る。子どもたちは、防災意識を持ちながらも、自然と共生する選択肢が与えられるのだ。

大島にとっても、子どもたちが来ることで観光業、産業の活性化を望む。震災復興や震災を風化させないという大島の歩む道を今の子どもたちに示すことができるのだ。子どもたちとの交流から大島に新たな発展が生まれるのではないだろうか。

参考文献

[1]国立花山少年自然の家(1988).『東北地区少年自然の家 施設・運営等実態調査報告書』

[2]建築思潮研究所(1984).『6 保養・研修・野外教育施設』建築資料研究社

[3] 河野通祐 浅野平八(1975).『青年の家・少年自然の家』有限会社井上書院

[4] (社)全国青年の家協議会(1997).『全国青年の家ガイドブック』社団法人全国青年の家協議会

研究を終えて

宮城県気仙沼市大島は都会で暮らす子供にとっては感じたこともない自然にあふれた空間が広がっている。子ども、大島どちらにも利益がある空間演出はとても難しかった。大島大橋が架かったことで大島が得たメリットはとても大きく、これから海、自然、空気、つながり、大島という島全体でどのように生かしていくべきか考える必要があると思った。

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