『不易流行』
創建1200年を迎える竹駒神社の未来
針生啓太
平岡研究室
2023 年度卒業
近年は観光客が多い神社でも資金を得るために境内にマンション等を建てるといった望まない変化が起こっている。「変わることは変わらないことの本質」ということを示した『不易流行』という言葉がある。神聖な神社の形、文化を未来に残すことを「変わらないこと」とし、2042年に創建1200年の節目を迎える竹駒神社が行うべき変わらないための手段としての適切な変化を探し、整備・設計を行った。

はじめに

1.1.研究背景

神社は関わる人のために、また時代の流れにそって境内周辺の様子や行事を変化させてきている。特に創建1000年、1100年の機会には大規模な整備が行われてきた。842年に創建された竹駒神社は2042年に創建1200年を迎える。神社の形は何百年も前の形が現在も残る。未来に向けての神社の形を定めるよい機会と考え今回の研究に到った。

1.2.研究目的

本研究の目的は、神聖な神社、文化を未来に残すこと、変化の良い影響を周囲に波及させることである。「変わることが変わらないことの本質」ということを示した『不易流行』という言葉があるように、今回の研究では変わらないための手段として、竹駒神社周辺で行うことのできる適切な変化を探す。

調査

2.1.神社の整備の事例

神社周辺の整備は近年、各地で行われている。建築雑誌、インターネットを用いて事例調査を行い、その中から直近15年で行われた整備20件を抽出したところ、形態ごとに大きく4つに分類できることが分かった。

①観光スポット化(境内):極力神社建築に合わせた外観の現代的建物を建ててそれをもとに観光客を引き寄せる。授与所の改築やカフェの新設が多い。

②地域の交流拠点化(境内外):変化に寛容である境内外の参道などに建て、そこを起点に賑わいを生み出す。交流所、道の駅、公園等の設置がある。

③神社本来の姿を再現させる変化:神聖な境内環境を守る新たな形を模索し、社殿の改築などを行っている。

④財源の確保のために止むを得ず行う変化:アパート・マンション等を建築するために境内の土地を貸出し財源を確保する。

2.2. 関係する人々

前項の④のような変化が参拝客の多い神社でも起こっている。これは、神社を実際に運営や資金支援で支えているのは氏子、崇敬者であるためである。様々な定義があるが、神社周辺の一定地域に居住するのが氏子、それ以外の地域に住む支援者が崇敬者とされている。昔は生まれた際に氏子となる儀式を行う、名簿登録などが行われていた。一方、人の流入が激しい現在はそのような機会もなく、自分が氏子であるという自覚がない人・協力的ではない人が多くなっている。

竹駒神社は県内有数の初詣客を誇り、参拝客数も多い。しかし、実際に神社を支援するのは氏子崇敬者であり、これらの役割を果たしてくれる可能性のある地域の人々も引き寄せることは必要である。

2.3.境内

神社はその空間自体やモノに意味合いや役割が込められており、それらを守ることが神聖さに繋がる。受け継がれてきた神聖さを維持することは神社周辺整備の中で重要であり、前期に行ったものより詳細な調査を行った。

 

Fig.1 現状の竹駒神社周辺

奥州街道から竹駒神社にのび、本殿まで通じる道を参道としている。特に境内では参道は本殿に向けての道であるため、この道以外を誘導しないようにする。境内と外を分ける結界の役割がある鳥居の位置を考えると境内はこの範囲である。また、境内でも神様が宿る場所への入り口としての役割をもつ隋身門があり、境内の中でもこの門以降はより神聖な場所になる。境内の木々は御神木としての役割があるため、それを伐採するということは極力避ける必要がある。灯篭なども氏子崇敬者からの奉納であるため、撤去はしない整備を行う。

研究方法

3.1.設計に向けて

神聖な神社、文化を残すためには現状を維持することだけでは足りない。現状を維持するには支えてくれる人々を増やすことが必要であり、そのためには周辺に人を呼ぶ魅力を作ることが必要である。現状の氏子崇敬者・参拝者に認められるような神聖な神社での参拝を補助する整備、そして、観光客・参拝客だけでなく地域住民を引き寄せる、神社と神社外を常に繋ぐような整備を同時に行う。

3.2.整備内容

 

Fig.2 整備計画図

①「神社の誘導役としての参拝者休憩所」

現在建っている建物は境内の入り口の施設としての外観、そして休憩所としての役割を果たしていない(Fig.3)。祭りの際は参道沿いに露店が出店するため3m以上のセットバックを確保し、壁面は奥行きをずらし人の滞留する余力を作る。屋根には参道入り口から社殿を曲線で繋いだ際のカーブ、軒は延長線上に奥宮を位置させ、誘導や象徴性を持たせる。屋根は周囲との調和は取れつつも、ただ境内の他の建物の屋根と同一化することは避ける。基本、参拝者の利便のための休憩所としての機能ではあるが、同時に設計するカフェや公園と連動し、地域の人たちが立ち寄れるようにする。境内の参道からは外部のカフェ、公園への誘導は見えないが、外部からは引き込まれる視覚的な設計も行う。また、竹駒神社にとって重要な春分秋分の日を意識できるようにし、長い時間軸の中で存在する神社を意識させる役割も持たせる。

Fig.3 現在の参拝者休憩所

②「裏参道」

神社周辺の住宅地の広がりによって西側にも入り口ができ、西参道が作られた。この参道は唐門の手前から表参道に合流するようになっているため、表参道の隋身門を通り本殿に行くことはできない。より由緒ある神社の参拝の経路を誰もが選択できるように、西側の参道を延長させ、表参道の入口へつなげる。

③「門前町を感じる参道」

奥州街道と竹駒神社を結ぶこの道には神社の参道としての機能がある。また、昔は門前町であったにも関わらず、現在店は数店舗であり歩道も狭くその面影はない。幅3mの参道を整備し、視線の先に境内の鳥居が見えるようにする。歩行者の道路が整備されることで、沿道に店が増え、門前町の景色が復活することを期待する。

④「変わらない神社中枢の形 社務所再築」

社殿や社務所が位置しているのは神社が創建の頃から位置している場所であり、この空間の景色を守ることは特に重要である。社務所の主要な躯体をRC造、一方小屋組や間仕切、壁等を木造で造替可能とし、建て替える際に大きく形が変わらないようにする。

⑤「地域の人と神社を繋げるカフェ」

氏子となる可能性のある地域の人々に通常の暮らしの中で神社付近に訪れるきっかけを作ってもらうために設置する。また、隣接する公園でイベントを行う人への支援スペース、倉庫も設置する。神社境内への誘導を行うように飲食スペースから神社境内の様子が見えるようにする。

⑥「岩沼中央の公園」

岩沼中央には公園が少ない、その機能を担わせる。常に人が集いやすい空間とすることで神社に興味を持ってもらい、ゆるやかに神社への誘導も促す。もともとこの場所にあった駐車場は祭りの際などにはステージや屋台、また定期的にキッチンカーのイベントやマルシェなどが行われるためそれらの用途にも使えるような設計とする。

まとめ

①から⑥の整備を行うことで、今後100年間で神聖でありながら新しい神社の参拝環境を徐々に際立たせていく。更に、常に地域の人々も引き寄せる環境を確立し支援する人が絶えないという状況を実現させる。これは、神社で望まない変化が起こることを防ぎ、神聖な神社、文化が保たれていくことに繋がる。また、これらの整備によって竹駒神社周辺はより一層岩沼中央の軸となり、神社に訪れる道中として位置する奥州街道といった街中のにぎわいを作る、公園がない岩沼中央に居場所を作る等、周囲にも影響が波及していくと考えている。

参考文献

[1]岩沼市史編纂委員会(2020).『岩沼市史 特別編Ⅱ民俗』

[2]神社本庁.「氏神と崇敬神社について」.神社本庁, 氏神と崇敬神社について | 神社本庁 (jinjahoncho.or.jp)(2023年1月12日閲覧)

研究を終えて

長い時間軸で存在してきた神社周辺で行う変化であったため、景観や神社へ関わってきた人々、担ってきた機能への配慮を行いながら、新たな神社空間を構成することがとても難しかった。しかし、最終的には自分の研究での目的を達成できるような竹駒神社周辺の設計・整備を考え、形にすることができよかった。

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