漆の硬化特性を利用した変わり塗り
難しいを簡単に、ネガティブをポジティブに
村上茉広
土岐研究室
2022 年度卒業
従来の乾漆技法においては熟練技術が必要とされるだけでなく、経年変化によって当初の艶や輝きが半減し、漆特有の光沢を十分に発揮できないという点が課題となっています。これら性質を逆手に取り、乾漆技法をより身近に、バリエーションを増やすことで、乾漆技法の装飾表現における新たな可能性を引き出しました。

はじめに

日本で初めて漆が使用されるようになったのは、縄文時代と言われており、漆の木は中国から伝わったとされ、広く各地で栽培されてきた。木製品に漆を塗った「櫛」などの装飾品がいくつも出土しており、特有の光沢と耐久性・堅牢性のある塗装材料として、長い歴史のなかで様々な技術が磨かれながら発展してきた。奈良時代以降は、中国から加飾の技法が伝えられ、装身具は見られなくなり、代わりに鏡や銅剣など「宝器」へと変化した。さらに、平安時代後期から鎌倉時代には、男性の装飾具は刀剣や甲冑などの「武具」へと移り替った。日本刀が武具としてだけでなく、権威や権力を誇示するための「装飾具」であったことと、深く関係している[1]。
日本刀の鞘の素材である朴の木は、油分が少なく、固く強度があり、鉄を錆から守ると言われている。しかし、白木のままでは、雨風に耐える防水効果や火を避ける断熱効果はないため、考え出されたのが、木製品に漆を塗るという昔ながらの補強方法だった。これが、「塗鞘」(ぬりさや)である。鞘の材料である朴の木に漆を塗ることで、防水、防腐、耐熱、耐久効果を補強できることが分かった。さらに、漆を重ねて塗ると、光沢が増して華麗になるうえ、「蒔絵」(漆で模様を描き、金や銀などの金属粉を蒔くことで華美にする漆工芸の装飾法)や変わり塗り(漆の性質を応用して、色彩の変化をつけたり、漆塗りの表面に凹凸をつけたり、鮫肌など他の材料を併用する装飾法)まで施せるようになり、美しく装飾できるようになった。このように、日本刀の鞘は、漆工芸の発達によって補強・装飾され、持ち主の権威や家柄にふさわしい装飾具として、実用的に発展していった。各時代の主要な建造物には欠かすことの出来ない高級な塗装として用いられ、江戸時代には刀の大小の二本差しが武士の正装となり、拵は黒蝋色の漆塗と定められたため、塗鞘は一般的な物となった。

調査

現在まで受け継がれている東北を代表する漆塗りの伝統技法である津軽塗には以下のような多種の変わり塗技法が使われている。

●唐塗り(図1):卵白を混ぜ塗膜に高さを出すための漆を仕掛けベラで塗布し、凹凸を付ける。硬化を待ち、色漆を重ね、更に色漆を重ねる作業を繰り返す。最後に研ぎ出すことで凹凸の周囲に塗り重ねた色が出てくる形で模様が現れる。最後に上塗りをし、艶を出して完成となる。

図1 唐塗り断面図、唐塗り表面

●七々子塗(図2):漆を全体に塗り、菜種を蒔く。表面張力で漆が菜種の周りに昇ってくるため、硬化を確認し凹凸を壊さぬよう菜種を剥ぎ、ベースとなる色漆を数回塗り重ねる。最後に研ぎ出すことで凹凸の周囲に塗り重ねた色が出てくる形で模様が現れる。最後に上塗りをし、艶を出して完成となる。

図2 七々子塗断面図、七々子塗表面写真

●紋紗塗(図3):黒い漆で図柄を書き、塗膜に高さを出すため硬化を待ってなぞる作業を繰り返す。次に全体に漆を塗り、硬化前にもみ殻の炭粉を蒔く。硬化したらもみ殻を削り、上塗りを行う。もみ殻を蒔いた箇所はマットな質感になり、図柄の部分には艶が現れ完成となる。


図3 紋紗塗断面図、紋紗塗表面写真

こうした変わり塗は何度も塗っては乾かし、そして研ぐという作業を繰り返すため手法によっては四十以上の工程と、最低でも完成まで一ヶ月半~二ヶ月を要する。また、熟練の技術を持つ職人が不可欠となり、簡単に再現することが出来ない。
しかしながら、今日では従来の手法に捉われない土岐の研究により、椅子やテーブルなど乾漆造形家具や、新しい乾漆技術の実用化が進みつつある[2]。中でも乾漆シートは、従来の乾漆技法で仕上げとして行われる上塗りの層をポリ塩化ビニル板に行い、二層目に麻布を漆で貼り合わせ、最後に素地を重ねて剥離を行う。このように行程順を従来とは逆順に行うことで、トレーニングや知識が必要とされる従来の技術を容易に再現することが出来る技術である(図4)。


図4 乾漆シート断面図

また、従来の乾漆技法においては、年月の経過によって素地の布目の凹凸が表に出てくるという問題がある。これは漆の自然で本質的な現象で、素地に含まれる水分と塗られた漆の中の水分が微量ずつ自然に蒸発していくことや、硬化によって漆全体が収縮することが原因であり、産地では「やせ」がきたと表現する。具体的には、漆を塗った当初の艶や輝きが「やせ」がきて布目の凹凸が出ることによって半減して見えてしまい、漆特有の光沢を十分に発揮できないという点が課題となっている(図5)。
加えて、漆は空気中の酸素、水素と酸化重合反応して硬化・収縮するため、漆を厚塗りし過ぎてしまったために空気に触れなかった内部が硬化せず、「縮み」となり表面に不要な凹凸を作ってしまう(図6)。このように漆は塗布する厚みや温度、湿度管理が繊細で扱いが難しい。

図5 やせ 図6 縮み

実際に乾漆技法を体験する中で、このネガティブな課題を漆の本質的特性としてポジティブに捉えることで、乾漆技術をより手軽に、バリエーションを増やすことができないだろうかと考えた。

 

研究方法

全ての実験において乾漆シート(平面表現)、器(立体表現)を制作する。

(1)布目の変更
従来ネガティブにとらえられていた「やせ」のよる布目の露出をポジティブにとらえ、布目を柄としてとらえることが出来るよう、織り方が単調である麻布をレース生地へと変更する。
〇乾漆シートの工程(図4) を行い、通常麻布を2枚封入する点において、仕上がり面に近い一枚をレース素材に変更する。
ⅰ. 乾漆シートにおいては通常工程に支障なく制作することができた。しかし、麻布に比べ折り目が細かな点においては露出が充分にできず、ぼやけた印象となった。
ⅱ. 器においてはレース生地の伸縮性が麻布に比べ低く、立体造形を行うには不十分であった。切込みを入れながら器の型に沿わせていく作業は手間がかかってしまった。

(2)素材の封入…刺繡パーツ
実験(1)において凹凸感が微量であったこと、立体表現において起きたレース生地の扱いの難しさから一面ではなく、部分的に素材を封入することでより大きな凹凸感と工程の簡略化を目指す。
〇乾漆シートの工程(図4) を行い、上塗りの次工程で刺繍パーツを封入する。
ⅰ. 乾漆シートにおいては通常工程に支障なく制作することができた。また、完成品についてもレースに比べ凹凸が大きく出すことが出来た。
ⅱ. 刺繍素材はレース生地に比べ分厚く硬いが、部分的に立体に添わせる点においては何ら問題がなく制作することが出来た。完成品についてもレースに比べ凹凸が大きく出すことが出来た。

(3)素材の封入…紙類
実験(2)において使用した刺繡パーツは、形や柄の表現に制限されるためより手軽で加工しやすい紙に着目する。多様な紙を用いて乾漆表現に適した紙を見つける。
〇乾漆シートの工程(図4) を行い、上塗りの次工程で紙類を封入し、凹凸感(…素材の厚み、段差が現れているか)、柄(…素材に施された模様が浮き出ているか)、有用性(…本研究において適性があるか)の三項目において評価する。
ⅰ. 11種類の紙素材を封入しそれぞれ制作したところ、素材自体が極端に薄い和紙やプリント用紙は凹凸感が損なわれてしまい、反対に厚みのある厚紙やファイバークラフトにおいては接着用の漆が充分に吸収されないことが分かった。
ⅱ. クラフト紙においては、素材自体の凹凸感は損なわれてしまうものの、事前に施されたエンボス加工が仕上がり面にパターンとして現れた。
ⅲ. レザック紙は接着用の漆を適度に吸収し、凹凸感を残す厚みがあるとわかった。

図7 紙素材の実験結果

(4) 素材の封入…レザック紙
実験(3) よりレザック紙の適度な厚みと吸収力を生かすため、レーザーカッターによって切り抜いたパーツを封入する方法で有用性を検証する。
〇乾漆シートの工程(図4) を行い、上塗りの次工程でパーツを封入する。
ⅰ. 乾漆シートにおいては通常工程に支障なく制作することができた。また、完成品についても凹凸を大きく出すことが出来た。
ⅱ. レザック紙から切り出したパーツは部分的に立体に添わせる点においては何ら問題がなく制作することが出来た。完成品についても凹凸を大きく出すことが出来た。

まとめ

本研究の展望は乾漆技術をより手軽に、バリエーションを増す技術として展開すること。また、幅広い年代が漆の美しさに興味を持ち、漆素材を取り巻く様々な問題を解決する一つの足掛かりとなることを目指したい。

参考文献

[1] 日本政府広報オンライン.「日本政府広報オンライン」
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202205/202205_01_jp.html, (参照2022-6-30)
[2]土岐謙次.「塩化ビニル樹脂を型素材とした乾漆造形手法の研究」.2017

研究を終えて

漆を取り巻く環境について考える機会となりました。漆は一度硬化すると極めて固く、酸、アルカリ、熱、湿度に強く、さらに抗菌作用もあり、アレルギーを引き起こすことないとても優れた素材です。しかしながら、漆を増やすには「木」も「人」も増やさなくてはならず、これまで永く受け継がれ磨かれてきた伝統や技術といったものが失われつつあります。使い捨ての商品を大量生産、大量消費するのではなく、環境だけでなく健康にも優しい物を長く使い続けるという新しいライフスタイルの中で、漆の有用性を広めることができたらと強く思いました。

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