パタン・ランゲージを用いた持続可能な漁村集落の構築
―女川町北浦地区を対象として―
鈴木大斗
平岡研究室
2022 年度卒業
女川町北浦の5つの漁村集落は、それぞれの環境特性・産業特性を持っており、幾度の災害にあっても復旧を繰り返し、漁村としての生活を維持してきた。しかし、東日本大震災による防災集団高台移転や人口流出で、職住分離や高齢化が進み、漁村集落としての機能を失いつつある。本研究では、女川町北浦地区に存在する5つの漁村を事例として、持続可能な漁村集落の構築を目的とする。

はじめに

Ⅰ.研究背景と目的

女川町北浦の5つの漁村集落は、それぞれの環境特性・産業特性を持っており、幾度の災害にあっても復旧を繰り返し、漁村としての生活を維持してきた。しかし、東日本大震災による防災集団高台移転や人口流出で、職住分離や高齢化が進み、漁村集落としての機能を失いつつある。現在の高台移転先に建つ住宅は、かつて漁村に存在した集落特性に合った住宅とは異なるものである。本来、日本の集落の住宅は、その土地の環境特性や産業特性に合う空間構成をしており、まとまりのある集落が形成されていた。

本研究では、女川町北浦地区に存在する5つの漁村を事例として、震災以前の今は無き空間特性や生活像を読み解き、加えて漁村には無い現代的価値観を取り入れることで、それまで見られなかった形態の持続可能な漁村集落の構築を目的とする。

調査

Ⅱ.前期研究での北浦地区の調査・分析

Ⅱ.1.女川町と北浦の概要:女川町には北部の北浦地区に5つ、中心地区に2つ、南部の五部浦地区に7つ、離島部に3つの全17集落があり、牡鹿半島の複雑で急峻な地形に囲まれた限られた平地で生活を行ってきた。各集落が環境特性を把握した上で養殖漁業を行い、町中心部での水産加工業とのネットワークで結びつくことで、地域社会、経済構造を成している。

Ⅱ.2.津波被害と信仰:女川町誌には、西暦869年から1960年の約1000年間での22回の地震・津波被害が記録されている。災害の度に、記録や伝承碑によって住民は防災意識を高めてきた。津波の浸水高20mを超えるような集落もあった中、町内の神社や寺院は全て津波での流失を免れた。神輿や獅子を納めている神社もあり、過去の災害を経て信仰空間の位置が決められていることが推測できる。

Ⅱ.3.集落行事:女川町では正月になると獅子が集落内の家をまわり、無病息災や家内安全、大漁祈願を願う春祈祷が行われている。獅子振りは集落住民が老若男女問わず参加し、練習のために集会所に集まったりと集落のコミュニティ形成そのものといえるものであった。

Ⅱ.4.各集落の地形特性:下田ら(2012)は5集落を立地と漁港の型で分類分けしている。谷戸立地は、急峻な尾根上の地形や岬の合間に住居域が位置し、ハマ立地は比較的平坦な土地が海際に面して広がっている立地をいう。漁港連続型は住居域の延長に漁港があるもの、漁港ズレ型は、住居域と漁港がずれて配置されているものをいう。

表1.集落の立地と漁港との位置関係

桐ヶ崎 谷戸立地 漁港連続型
竹浦 谷戸立地 漁港連続型
尾浦 ハマ立地 漁港連続型
御前浜 ハマ立地 漁港ズレ型
指ヶ浜 谷戸立地 漁港連続型

研究方法

Ⅲ.前期研究での成果:パタン・ランゲージの作成

Ⅲ.1.漁村集落のパタン・ランゲージ:既往研究や文献・ヒアリングから日常生活や空間特性をパタン化した。パタンについては、北浦地区の5集落共通で見られるものと、御前浜の特有パタンを挙げる。御前浜以外の4集落は、人口規模や平地の広さ、港の向く方位によって違いが出ていた。各パタンには関連性があり、分類項目を超えて集落特性を強く色づけているものが見られた。

Ⅲ.2.地域社会圏主義のパタン・ランゲージ:それまで漁村には無かった価値観である持続可能な建築空間・コミュニティ形成のあり方を取り入れる。山本ら(2013)による地域社会圏主義は近代的なコミュニティ形態の1つであり、必ずしも家族を前提とせず、そこに住む住民全体を1つのコミュニティ=地域社会圏と考えるものである。地域社会圏の住宅「イエ」は外に開かれる見世と高プライバシーな寝間によって構成され、占有と共有の関係性を全て見直した考え方である。前期研究では、文献を元にパタン化を行った。地域社会圏主義の構成にあたり必要な空間の考え方を抜き出した。

Ⅳ.パタン・ランゲージの拡張・分解・再構成

前期研究で構築した漁村集落のパタン・ランゲージと地域社会圏主義のパタン・ランゲージを分解し、再構成を行う。論文やヒアリングの調査・分析により抽出したNo.1〜No.73の漁村パタンと地域社会圏主義の文献から抽出した26のパタンから新たに設計に利用するパタン・ランゲージをエリアごとに構築する。エリアは、住居エリア・共有エリア・漁港エリアに分ける。エリアごとに構築したパタン・ランゲージによりエリアの設計を行う。パタンは研究を進めていく上で常に拡張を続ける。

Ⅳ.1.住居エリア:主な住居エリアは海抜10m以上の山の斜面に設計を行う。漁村パタンの「No.56 作業場としての縁側」や「No.5 海が見える台所」のような空間的なパタンや、「No.58 海を見る日常」「No.66 お茶っこ」のような習慣的なパタンを、地域社会圏主義のパタンと組み合わせる。地域社会圏主義では、「I. 見世」「Ⅱ. 寝間」といった基本形式だけでなく、「見世が集まりフリーマーケットのような場所となる」といった空間の理想イメージのパタンも含ませた。(パタン数:23)

Ⅳ.2.共有エリア:集落コミュニティの中心となる共有空間の設計を行う。従来の納屋でのパタンと、地域社会圏主義の「Ⅲ.住民達の共有設備」といった共有の割合を多くする考えのパタンを組み合わせる。集落空間の設計での共有に関係するパタンが多い。また、地域社会圏のような住まい方の機能を持たせる。(パタン数:39)

Ⅳ.3.漁港エリア:漁港機能を含む建物の設計を行う。養殖業の準備や処理を行う施設や水場の設計を行うためのパタンが多い。共有エリアより、漁業に依っている。(パタン数:23)

 

Ⅴ.北浦共通の基本設計

Ⅴ.1.ゾーン計画:北浦5集落共通のゾーン計画を示す。集落によって漁港の向きが南向き、東向き、浜の地形特性が異なるが基本手順は同様である。始めに漁港近辺に漁業の施設を置くゾーンを5mほど嵩上げした地点に整備する。次に、主な居住エリアを山間部斜面に置く。居住エリアは集落によって分割して整備し、エリアは海抜10m以上とする。集落の地形特性によっては、その高さは15m以上の整備が望ましい。そして、漁港エリアと住居エリアをつなぐ位置に、集落の共有機能を持たせたエリア(以下、共有エリア)を置く。共有エリアには畑など、パタンから従来の集落で点在していたものを置く。共有エリアは漁港エリアと居住エリアを繋ぐため、海抜5m〜10m(集落によって、15m)の嵩上げを行う。設計は震災前に立ち返り、人口規模や産業形態を設定する。

 

Ⅴ.2.動線計画:集落内の動線計画はシンプルなものが望ましい。共有エリアから海に向かって視線が開けるような直線の動線で設計を行う。北浦を通る国道398号線からの動線確保のため、ゾーン計画とともに主な動線を考慮する。また、集落内で専用ビークルの利用をするため、自動車専用道路とビークル専用道路を整備する。集落内の主軸となる道路では自動車とビークルの道路を並行に整備する。

Ⅴ.3.集落内の住まい:住居域は住戸を2段に置き、その間にアプローチを通す。共有エリアに限らず、住居エリアでも地域社会圏主義の「見世」の考え方を活用したコミュニテイ形成を図る。また、住戸は世帯の専用住戸ではなく、集落に開かれた見世を持つものとし、共用面積の割合を増やしたものとする。専有面積割合を減らし、共用面積を増やすことを目的とする。そして、集落内の住まいは居住エリアと共有エリアの2つに設定する。共有エリアの住まいは部屋貸しを行い、集落外部からの居住者の仮住まいや居住エリアに住む家族の子世代の住まいとして柔軟に対応できるようにする。

Ⅴ.4.北浦共通の複数の住宅型:居住エリアの住戸は世帯人数や機能の違いに対応して、あらかじめA~Cの型を用意する。東向き、南向きの漁港や、アプローチの違いがあるため、少々の変化を付けた型も設計する。設計の条件として、斜面に建つ住戸であり、外部に開かれた「見世」を持つ。複数の型を用意することで、集落、北浦としての漁村の一体感を出し、設計の負担を減らす目的がある。

Ⅴ.5.災害に対する考え方:北浦をはじめ女川町の集落は、定期的な避難訓練を行い、災害に対する意識を高めてきた。東日本大震災の津波の際は、桐ヶ崎地区は低地に住みながら、震災時には津波による死亡者は出なかった。それは数十年に一度来る津波に対して危機意識・防災意識を絶やさなかったためである。高台を切り崩し海の見えない場所に移住し、海と住居を行き来する決断も解の1つだ。しかし、今までの集落は、海と共に生き、コミュニティ・生活の中心に海と漁業があり、漁業だけの海ではなかった。高齢化が進む現在の北浦の集落では年々住民の数が減少している。

いまいちど、海と暮らすことについて考える必要があると思う。重要なことは、持続可能な集落のカタチを形成することだ。住居を並べるのではなく、コミュニティを持続・加速させるカタチづくりが必要だ。

 

Ⅵ.持続可能な漁村集落のケーススタディ「桐ヶ崎」

震災前の人口は74人28世帯である。前述の通り、桐ヶ崎地区は谷戸立地・漁港連続型のため、東西を山に囲まれた南北に長い集落で、南西の山の斜面の位置に五十鈴神社を有する。Ⅴ.北浦共通の基本設計を元に、桐ヶ崎地区で持続可能な漁村集落の詳細な設計を行う。集落の東側の緩やかな斜面に居住エリアを置き、集落の中心に共有エリアを置く。そして、南に漁港エリアを置く。今回の設計では、漁港エリアから共有エリアで5段に嵩上げ(~15m)を行い、共有エリアから海への眺望を集落の軸となる動線で確保した。それぞれのエリア・施設でパタン・ランゲージを用いて、持続可能な漁村集落の構築を行う。

まとめ

今までの集落は、海と共に生き、交流と生活の中心に海と漁業があった。だからこそ、震災を経験した漁村集落で海と暮らすことについて考える必要があると考える。重要なことは、持続可能な集落のカタチを形成することで、住戸を並べるだけではなく、コミュニティを持続・加速させるカタチづくりが必要だ。

以上の提案が、私が考える持続する集落のカタチである。

参考文献

参考文献

1)宮城県女川町,女川町誌,宮城県女川町役場,昭和35年8月10日

2)羽島愛奈,「漁村集落群の空間構成と土地利用,自然災害被害の関連性について-宮城県女川町北浦の5集落を事例として-」,日本建築学会大会学術講演梗概集,2015年9月

3)下田元殻,木多道宏,吉岡聡司,吉川正展,「宮城県女川町における漁村集落群の再形成に関する研究 その1-集落の被災状況と空間構成の分析-」,日本建築学会近畿支部研究報告書,2012年5月

4)山本理顕,地域社会圏主義,LIXIL出版,2013年8月

研究を終えて

現状の女川町北浦の漁村集落は震災以前の本来の生活像とかけ離れていることが深く理解した。また、被災した地域での持続可能な形態の集落は必要とされており、建築家やデベロッパーがよく考えていかなくてはならない。集落の再構成は、集落のことを良く理解した上で行われるべきで、一方的に押しつけて良いものではない。そのために、度重なるワークショップや現地調査が必要になる。点在する集落が発展に向けて、より深い議論を成されることを願う。

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