潜在する
身体に触れる体験が生み出す自己理解の体験
木村真優
中田研究室
2022 年度卒業
本制作は、糸状のものを用いた手編みによる造形作品である。作品内に入り、一人の空間で編み目を見つめてみたり、袖に手を通してみたりといった作品との触れ合いへ誘導することで、作品に対して自身を投射する“感情移入”、その中で何を感じたか、どんな行動をしたか、それは何を起因としているのかといった部分を、自身で客観的に観察する“自己観察”を促すことを目的としている。

はじめに

Ⅰ.制作の背景
前期作品では「自分宗教」と題し、人間の行為を切り取った針金の群像を制作し、感情移入を通じた自己理解の体験提供を表現目的とした。その中で切り取る人間の行為の選択や造形化する上でのルールを決める際、作者の無意識や潜在意識が入り込んでいることに気づき、結果的に感情移入、自己理解を促す作品であると同時に作者の潜在意識が見え隠れする作品として完成していた。それは作者にとって作品の制作が自身の潜在意識の外在化を達成させるということであり、それに対して作者以外の潜在意識の外在化を達成させる作品はできないかと考えるようになった。もし実現することができれば、潜在意識の外在化が自己理解のきっかけや一種のセラピーになりうるのではないかと考え、後期では潜在意識の外在化を最終目的として扱う。

Ⅱ.制作の目的
本制作は、潜在意識の外在化の達成のため、その一端を引き出す“感情移入を通じた自己観察の体験”を提供する作品制作を目標とする。その体験を実現する作品の要素として、作品に対して何か印象を持ったり身体的な行動を起こしたりするものでなければならないと考え、“人の念を感じられること”、“身体的な体験ができること”の2点を満たす表現を行い、造形作品として完成させることを目的とする。
感情移入を通じた自己観察の体験とは、対象に自分を投射することで生まれる感情や行動を自身で客観的に観察する体験である。ここで観察される感情や行動は自身の心理状態や根本的な考えがもとになると仮定すると、過去の経験をもとに蓄積された価値観や習慣によって形成される潜在意識を外在化させるために、自身が対象に抱いた感情を観察により紐解くことは自身の過去や思想を紐解くことであると言え、潜在意識を引き出すことにつながると考える。またその中で対象を“作者の念を感じられるもの”にし作品に他者性を持たせることで、より多くの人にこの体験を促すことができると考える。

調査

Ⅲ.制作にあたって
1.身体性の利用
前期作品では、感情移入を促す作品として見る人との間に身体的な共通点を持たせるため、人間のシルエットをモチーフに造形を行なった。本制作では、前期のように造形デザインとして身体性を利用するのではなく、“人間が外部環境を知覚したり体験したりするための身体”という意味の身体性を利用し、感情移入を通じた自己観察への誘導を狙う。例えば宗教における身体性は、儀礼や食制限に挙げられるように、自覚があまりないまま共有・転写が広がり思考の理解に利用されると言われている。本作品で扱う身体性では、実際に自分の身体に作品が触れることにより、作品との物理的な距離が縮められると同時に、作品と向き合う事実が当事者意識として責任と共に感じられるようになるという部分を利用する。それは精神的な距離を縮めているとも言え、より精度の高い感情移入を通じた自己観察の体験への誘導が可能になると考える。
2.制作手法の選択
本制作のスタートとなったのは、知人からその人の断片となるものを借り制作するという内容の4年ゼミ課題である。この課題で小指のみを守る手袋を制作し、その後の他者からの批評により、課題解釈や制作手法の選択を通して自身の無意識やそのもとになる根本的な考え方に気づかされる体験をした。この体験から、作品において作者の存在は隠すことができないことを改めて知り、一つの作品性として利用できないかと考えた。ここでこうした体験をした一つの理由として、手編みという制作手法を挙げる。手編みによる作品には完成までの時間経過やその蓄積が表れており、作者の思いや念を感じることができる。つまり手編みの手法では、自身の身体に触れる体験の中で念という他者性を感じることができ、それは作品に対するより深い当事者意識を持たせることにつながるだろう。以上のように手編みという制作手法、それにより生まれる念という他者性を一つの作品性として扱うことで、目標である感情移入を通じた自己観察の体験提供が可能になると考える。

研究方法

Ⅳ.表現要素
1.かぎ針編みとデザイン
手編みの手法の中には棒針などいくつか種類があるが、本制作では作者の念を感じられる作品を目指すため、細かく直感的に編めるかぎ針編みを選択する。それは作者の念を感じられる作品として、作者が編み進めるその時々の状況や心理状況を反映、顕在化させることが効果的だと考えるからである。それらは編む材料となる糸の色や質感、編み方やその力加減などにより、作者の念として浮かび上がる。これは作者の潜在意識の外在化とも言え、かぎ針編みはその一つ一つを表現するのに適すると考える。また材料となる糸やその編み方に変化を持たせることは、作品が持つ表現要素を増やすことでもあり、感情移入をする対象や機会を増やす効果も持つと考える。

Fig.1 多様な糸の色、質感、編み方

2.制作プロセス
かぎ針編みでの制作にあたって、使用する材料は糸状のものに設定する。毛糸を主としてリボンやファー、布の切れ端、麻紐、紙紐、ビニールテープなどを使用する。編み方の工夫としては、内側を見せたくない上部は密度の高い細編みを、内側を透かしたい足元は密度の低い長々編みを選ぶことが挙げられる。また先に述べた「実際に自身の身体に作品が触れる」体験を生み出すため、作品の中に人が入れるよう針金とワイヤーを使い、吊るして展示する。作品の中で一人きりになった上で身体性の体験をすることで、本人の自覚の有無にかかわらず感情移入を通じた自己観察、そして潜在意識の外在化が達成されると考える。大きさは全長2000mm、幅1100mmとし、中にいる人が隠れるよう地面から1900mm地点が作品上端となるように吊るす。袖は手を通すのに無理のない高さで編みつけ、3本制作する。また内側の空間に人が滞在できる余裕を持たせるため、裾が広がるように3つのおもりを設置する。
3.制作手法
制作の手順として、まず袖部分を制作する。ゼミ課題で制作した手袋を発端とし、その付け根である腕を覆う袖部分を編み進め、それに接続させる形で全体を編んでいく。袖は小指だけの手を持つ袖、小指以外が揃う手を持つ袖、五本指が揃う手を持つ袖の計3つを制作する。袖が接続される全体となる部分は上部から円を広げていくように編み目を増やしながら編み進める。上部は吊るすための針金を埋め込む部分でもあるため、強度を持たせるために太い毛糸で硬く編む。一方で足元は作品の中の気配を感じさせるため、細い糸で緩く編むといった工夫をする。袖は1本あたり約1週間、全体で約2ヶ月で制作し、編む作業が習慣のようになっていたことからそれぞれの期間における作者の心情が、糸の色や編み方に反映されている。型紙の使用や全体のバランス調整などは行わず、自身の無意識的な選択を尊重しながらの制作を意識し進めた。

まとめ

Ⅴ.制作の結果
感情移入を通じた自己観察を促す作品として、かぎ針編みによる編みものを制作した。

Fig.2 完成した作品

Fig.3 内側の足元の様子

Ⅵ.考察とまとめ
完成した作品は、その大きさと色合いからかなりの迫力を感じるものとなった。また多様な色や質の材料を使用したことで角度によって見え方が変化した。それは作品に抱く印象や解釈が人により異なるという事実を含み、対象に抱く感情や行動を客観的に観察することが自身に対する観察につながるという自己観察の体験の導入部分として、その役割を担うことができたのではないかと考える。ここで作品に身体性を持たせることによって、衣服のような印象を持つことに気がついた。袖があることや上部の穴が首回りのように見えることがそれを助長しているように見られたが、衣服を制作したわけではないからこそ、その印象は自己観察の発端と言えるのではないかと考える。作品に対して他者と共通する印象や意識を持つことで作品と向き合う上での環境が統一され、それを発端として以降の自己観察の体験では、人それぞれ持つ潜在意識の一端を、鮮明に引き出すことが可能になるのではないか。共通する話題から連想される情景や記憶が人により異なること、変化することを利用し、潜在意識の外在化につなげることができると考える。
実際に作品の中に入ってみると、自覚のないまま自分自身と向き合う不思議な体験をすることができる。一人きりの空間で編み目を見つめてみたり、編み目越しに外を見てみたり、袖に腕を通してみたりなど、身体的な体験を通して自身がどんな感情を持ち、それがどんな行動につながっているかを観察できる空間だと言え、制作目的を果たしていると考える。
また作品の中に人がいる様子を外から見るとき、巨大な編みものが揺れたり袖が意思を持って動いたりする様子は面白く、念を感じる作品でありながら命が宿っているような印象を受けた。「潜在する」という題名は、自身に潜在する意識や感覚を外在化させるという目的を示す意味を持たせていたが、作品に潜在することがその方法であることを伝えるものになっていた。
以上より、感情移入を通じた自己観察の体験提供の実現のため、作者の念を感じられるものであり身体的な体験ができる造形作品として本作品を完成させ、最終目的である潜在意識の外在化の達成につなげることができたと考える。

参考文献

・@IT (2021.2.10).“AI.機械学習の用語辞典「身体性(Embodiment)とは?」”.@IT.2021/2/10,https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2102/10/news019.html(2023/1/10閲覧)
・内閣府(2023).“ユースアドバイザー養成プログラム.第5章 支援の実施.第1節 相談における基本的態度と心得等.2 自己理解・自己覚知”.内閣府,2023,https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/h19-2/html/5_1_2.html(2023/1/10閲覧)
・渡辺学(2008).“宗教における修行と身体:宗教学の視点から(宗教における行と身体,<特集>第六十六回学術大会紀要)”.J-STAGE,2008/3/30,https://doi.org/10.20716/rsjars.81.4_785(2023/1/10閲
覧)

研究を終えて

身体性と他者性を持つ作品として、感情移入を通じた自己観察の体験を提供する作品の制作を達成できたと考える。作品を通して全員が自己観察の段階まで到達できるかは本人しか分かり得ない部分ではあるが、もし到達できるものなら、潜在意識の外在化や、その結果として自己理解のきっかけ、一種のセラピーにもなりうるのではないかと考える。

メニュー