未知の轟き
山下尚希
中田研究室
2022 年度卒業
本制作は人間の可聴範囲外である20Hz以下の音を体感する作品である。四方に置かれたスピーカーからは女性の歌声が流れ、徐々にその20Hz以下の音が増幅されていく。音による振動は吊るされたスタイロフォームを揺らすとともに体全体に伝わる。人間の聴覚では捉えきれない音が存在することを認知させるとともに、現実世界が人間の感覚以上のもので構成されており、それらのものから受ける影響があることの認識を促す。
https://drive.google.com/file/d/1shF5I7I5M2COKsoapb0FXPYzEB18R_gc/view?usp=sharing

はじめに

Ⅰ.背景

 卒業研究の前期において取り組んだ音と空間おいては、ヘッドホンの空間オーディオ機能を用い、現実空間と音で構成された仮想空間を一致させ、そこから音のみを使用してARのように現実空間を拡張させる制作をおこなった。その制作により、音によってあたかも空間が変化したように感じさせられることがわかり、これをヘッドホンではなく、スピーカーを用いることで更なる空間の変化を生み出せる可能性があるという展望を見出すことができた。よって卒業制作の後期制作では前期に引き続き音と空間についてスピーカーを用いて研究し制作する。

 本制作のきっかけとなったのは、Shoegazerというギターの轟音が特徴の音楽ジャンルのライブでの出来事である。そのライブでの演奏はジェット機の音並みである120db程度の大音量で行われた。その際ライブの参加者には事前に耳栓が配られ、鼓膜を守るために装着することが推奨された。ライブに来て音楽を楽しみに来ているのにも関わらず、耳を塞がせるという異様な光景であるが、訪れた人々は体全体で轟音による音楽を感じており、相当な満足感と高揚感を得ていた。私はこの音を体で浴びるような行為に興味を抱き、空間の演出として音楽以外に応用できるのではないかと考えた。

 大音量で音を浴びる行為の身体への影響を調査していく中で、音程によって水や砂などの形を変化させるサイマティクスという現象を知り、この現象が人間の体内でも起きていると考えた。また音を大音量で浴びることでその効果を大きくすることができると推測ができる。しかし人間の可聴範囲内の音を大音量で流し聴くことは、単にライブのように音を浴びていることと変わりがなく、制作の成果に期待できなかったため、今回は可聴範囲外の音を扱うことにした。可聴範囲外で鳴っている音は、人間では音として聴覚で認知できないため、体で感じることでしか実感することができない。

 以上の事柄の研究を進め、空間の制作に落とし込んでいった。

Ⅱ.目的

可聴範囲外の音を浴びるという非日常的行為をすることで、身体にどのような影響があり、またどう感じるかを検証し、その効果を引き出す空間を生み出す。完成した空間を体感することで人間の聴覚では捉えきれない音が存在することの認知をさせるとともに、現実世界が人間の感覚以上のもので構成されており、それらのものから受ける影響があるということの認識を促すことが今回の目的である。

調査

Ⅲ.制作の過程

 1.使用するソフト・機材

 上記の目的を達成するために可聴範囲外の音を体験できる空間を制作し、その空間体験から身体にどう影響するかを検証する。その空間を実現するために用いたソフトウェアはAppleが提供するLogic Proである。制作した音源を、スピーカー(許容入力900W)を使って鳴らす。

空間を制作する手順は以下の通りである。

 2.スピーカーの数量・配置

 今回の研究のテーマである大音量で音を浴びる空間を作るという行為を再現するため、まずは2つのスピーカーを相対させ鳴らしてみた。結果として、音量は十分だが、スピーカーの間に入った時に、そこまで体に音を感じることができなかった。

 そこで4つのスピーカーを四方に置いて実験した。すると、スピーカーの真ん中に立った際に、体全体に音の振動を感じることができた。またスピーカーの外から音を聴くと全く振動を感じないため、擬似的に振動が感じることができる空間を作り出すことができた。よって今回は4つのスピーカーを四方に置く手法をとることにした。

 また音の振動を体全体で感じるために、高さ70cmの台にスピーカーを乗せ、頭から上半身にかけてスピーカーから直接振動が届くようにした。

 3.可聴範囲外の音の扱い

 可聴範囲外の音を使い制作を進める上で、まずは可聴範囲外の超高音、超低音の効果を実験した。

 まずは20000Hz以上の音を試した。結果として、振動は極めて微少に感じることはできるが、相当な集中を要したため、音を感じる作品としては向いていなかった。

 次に20Hz以下の音で試すと、ある一定の音量を超えると体にズンと響く感覚を覚えた。また高音よりも周囲のものを揺らし、地震のような効果があることがわかった。しかし課題として、振動が強いために音が逃げ、音量と効果が薄れることが確認できた。

 4.音の選定

 可聴範囲外の音は日常的に聴くことはできないということから、普段の生活で耳にする音に絞って素材を集めることで、その20Hz以下の音を聴いた際に人間の聴覚で捉えきれていない音を認識しやすいと考えた。そのため前期で使用していた雷、雨、会話に加え、電車の音、息、歌声、その場の環境音を使用し比較した。

 雷や電車の音は元から低い音が鳴り、振動が感じられるため、20Hzを持ち上げてもその振動や効果に驚くことはなかった。反対に雨や息、会話、歌声、環境音については超低音を予測することができないため、可聴範囲外のものを感じられているという実感があった。

 音の選定をする中で、録音する際のマイクやオーディオインターフェースの質によって機械のノイズが大きく入ってしまったり、周囲の雑音を拾ってしまったりと純粋な素材の音の20Hzの音を収集することが難しいことがわかった。そこで、使用する音を歌声に絞った。歌声は防音室で良質な機材で録音することが多く雑音が入りにくい。さらに会話とは違い、高い声を使っていることが多く普段の声よりも低い音が想像しにくい。また音楽的に声の低い成分はカットされることが多いことから歌声を使用することで、より認知できない超低音の世界を感じることができる。素材はLogic Proのデモ音源としてBillie EilishのOcean eyesの無編集のデータが保存されており、このデータのノイズが極めて小さく、制作に適していたため、こちらを使用する。

 5.空間の制作

 前述の通り、20Hzの音源を扱うと音が逃げすぎてしまうことが大きな課題となった。そこで本制作ではスピーカーの外周を壁で囲み、その空間内で音が響くようにする。

 (1)外枠の大きさの検討

形を決定する上で重要になったのは入口部分である。可聴範囲外を扱う時に、スピーカーから鳴っているのが視認できてしまうと、聴くことに集中してしまい、音として捉えてしまうことが考えられるため、入る際にもなるべくその存在を感じられないようにした。結果として入口を斜めにし、内部空間との距離を感じさせないようにすることで、内側にスピーカーが入っていることを悟られないようにすることができた。また入る際に、この作品の異様さと日常では体感できないものを体験させるということを際立たせるために、入口の高さを低く設定し、屈む動作を取らないと中へ入れないようにした。スピーカーと聴き手との距離については実験の結果音量で操作することができるため、今回は入口の広さやスピーカーの収まりで全体の大きさを決定した。

(2)展示空間内の検討

スピーカーからの振動をより聴き手に感じさせるために内部にスタイロフォームの板を吊るした。スタイロフォームは振動を板全体で受け取るため、非常に振動しやすく、視覚的にも揺れが感じられたため採用した。

続いてスタイロフォームの厚さを決定するために実験を行った。結果一番動きの大きかった25mmのものを使用し、それぞれのスピーカーの前に1枚ずつ吊すことにした。

研究方法

Ⅳ.本制作

  • 作品

 人間の可聴範囲は20~20000Hzと言われており、その範囲内を私たちは音や音楽などとして、日常的に聞いている。

しかし世の中には可聴範囲外も常に鳴っており、それらは音として認識できないため、私たちはもはや意識することすらできない。

本制作は外壁に囲まれた約3m×3mの空間で構成されている。入り口から中に入ると、四方に置かれたスピーカーから女性歌声(Billie Eilish/Ocean eyes)とともに徐々にその20Hz以下の振動が鳴り、目の前に吊るされたスタイロフォームが揺れることで、振動を肌と視覚で体感することができる。音源に使われている女性の高い声の中に含まれる20Hz以下の音は普段の生活では全く意識されず、音楽的にも低い部分をカットする傾向にある。その声の超低音が空間内で徐々に現れてくることで人間の五感では感じられない世界の認識を促す。

人間の可聴範囲外の音域を体感する空間となっており、その振動やエネルギーが身体に悪影響を与えることも考えられる。特にペースメーカーを使用しているような方への影響を考えられるので、空間を実際に体験する際は十分な配慮のもと実演が必要となる。

まとめ

Ⅴ.考察とまとめ

 本制作を通して、日常的には全く認知することのできない可聴範囲外を体感させることができたとともに、人間の五感外の世界が常に存在し、それらが私たちの身体に影響を与えていることが理解できた。参考にした環境省が発行する「よくわかる低周波音」にあるように、体調の変化や、心臓への負荷が感じられた。これを長時間浴び続けることで、深刻な症状になってしまうことが予想される。しかし、体全体に音、振動が感じられると、聴覚では味わえない高揚感が得られた。一般的に音楽や音を四方から聴くことはないので、新たな聴き方として提示することも可能であると考える。

また今回使った20Hz以下の音は聴覚的には聴こえていなく、周辺のものが共鳴することで可聴範囲内の音を鳴らし聴覚での認識を可能にしていることもわかった。実験は本大学のデザイン棟1階で行っていたのだが、実験中に2階にいた人から、アクリル板が揺れ、机の中にあったアルミホイルがカサカサと音をたて振動していると報告を受けた。その際音は全く感じられず、ただ動いていたという。この現象は非常に興味深いものであり、直接的につながっていない空間に影響を与えることができることが推測できる。一見地震と同じように感じられるが、地震は地鳴りが聞こえるように可聴範囲内の振動もあるため、地震的な恐怖感は多少あるものの、音がしないという不思議な体験となる。

20Hz以下の音は減衰が速い、大音量で聴くことがない、音楽的にカットされるなどの理由で普段ほとんど感じられないものだが、今回の制作を通して向き合うことで、身体への影響に加え、その現象の可能性について発見できた。超高音については機材の関係により実験することが難しかったが、こちらも実験を通して様々な効果があると推測できる。

以上より、目的である可聴範囲外の超低音の身体への影響及び効果を導き出すことができた。またそこから見えた上記の可聴範囲外の音の新たな可能性を見出すことができた。

参考文献

Ⅶ.参考文献

・よくわかる低周波音 (2022年12月10日閲覧)

https://www.env.go.jp/air/teishuha/yokuwakaru/full.pdf

・シューゲイザーとは何だったのか?(著者:黒田隆憲、2022年1月17日閲覧)

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/13917

・サイマティクス(2022年1月17日閲覧)

https://ja.wikipedia.org/wiki/サイマティクス

研究を終えて

純粋にこの音素材の20Hz以下が出せているのかが唯一引っかかる点だった。機材の質によってこの作品の音声のクリアさが上がり、より洗練されたものになると考えている。

制作は空間設計も伴っていたため、大仕事ではあったが、テーマであった「音と空間」について表現できたことは大変大きな力になったと感じている。

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