「動」を呑む
仙台駅前西口を対象とした積層モデルの投影
室井康太
平岡研究室
2021 年度卒業
本研究の目的は、仮想空間で生成した積層モデルが現実空間で設計として作用するのかを検討することである。抽象的なワードから想像されるイメージをスケッチによってビジュアル化し、それをもとに仮想空間でのモデリングを行うことで空間構成を作り上げていく。仮想空間からの転移先である現実空間には公共交通機関や人の動線が入り混じる仙台駅西口を設定した。この敷地で様々な「動」の様子を表現した設計を目指す。

はじめに

Ⅰ.はじめに
ボリュームを連結する方法とボリュームを分割する方法で建築空間は考えられる。図1はル・コルビジェのスケッチであるが、一番上のスケッチはボリュームを連結すること、2番目のスケッチは一つのボリュームを分割すること、3番目と4番目はボリュームを連結することと分割することを組み合わせた方法を表している。つまりボリュームを連結することとボリュームを分割することが主な操作である。この二つを基本とした様々な実行の仕方や組み合わせ方が検討されることで近代建築が生み出されてきた。
機能性が先行する設計と空間性が先行する設計といった順序が異なる設計においてもこれは適用される。例えば機能性に従って肉付けされ、そのボリュームが連結することによって空間性を伴った設計が完成する。あるいは空間性に従ったボリュームを分割していくことで、その大きさに伴った機能性が設定された設計が完成する。
いずれも設計の手法であるため実現させることが目標であるし、そのためには具体的な現実空間が必要になる。しかし過去を振り返ると実現しなかった事例は数え切れないほど存在し、具体的な対象敷地が設定されていないものも多い。つまり完全に空想の産物である。このような「設計」がなぜ生まれたのか、なぜ空想の段階で留まってしまったのか疑問に感じた

 

調査

Ⅱ.研究目的
前期研究では仮想空間で主に回転させながら積むことに注目したボリュームスタディを行い、動線と空間を絡めた「ウチとソト」の話題について既存の建築と比較することでその特徴を掴む研究を進めてきた。この研究から一部の仮想空間でのボリュームスタディは現実でどのような目的を持っていたのかを明らかにできたが、現実と比較できなかったもの、つまり仮想空間内の抽象的な存在として止まってしまうものの方が多く存在し、それらについては現実でどのような有用性を持つのかについて検討することができていなかった。
本研究ではこれらの抽象的な形が現実でどのように活用できるのか明らかにするために、「ポーラス」や「図と地」といったテーマに関するボリュームスタディを現実空間に設計として落とし込めるのか探ることを目的とする。

研究方法

Ⅲ.研究方法
抽象的な設計を現実に持ってくるためには、まずスケール感を与えることが必要になる。無限の大きさを持つ仮想空間での設計は、制限を持たないことから変則的な造形を可能にしている面があるが、当然現実には様々な条件が存在する。その最も大きなものとしてスケール感が存在するが、仮想空間の設計を常識のスケール感に当てはめすぎてしまうことは設計の特徴を消してしまう原因になりうる。また機能性などの現実に必要とされるものを意識してスタディに影響を及ぼすことはあまり好ましくない。本研究では空間性を重要視しているため、現実空間にそれを投影する際であってもあくまで空間性を優先させた設計を目指す。

次に重要となるのは現実での目的を持つことである。仮想空間の設計は一定の回転や連続といった幾何学的な法則性に則って生み出されたものや、パラメトリックやランダムといった同じ手法の中でも特定の形を持たないものも存在する。こういったボリュームを現実空間に持ってくる際には課題解決や新たな価値の提案などの目的を明確にすることで、抽象的であった空間性に意味を持たせることが必要である。

Ⅳ.抽象的なスケッチ
本研究では離散や干渉などの抽象的なテーマに沿ったスケッチからスタディを行い、設計に入っていく。図2はスケッチの一部を示したもので、ブロック状のボリュームを配置、積むことに特化している。ここでの配置は仮想空間でのボリュームの作り方に集中し、現実空間での役割はあまり考慮しないものとする。

Ⅴ.設計
これまでのスタディは決まった現実空間に対応するような具体的なものではなく、仮想の空間に生み出した非常に抽象的なものであった。この空想の設計を現実空間に落とし込む際に適していると考えたのが駅前の空間である。鉄道やバス、タクシーといった交通機関の集積地として機能する駅前空間は、動線の集合や離散などの様々な動きが存在する。また様々な動きの通過地点として機能していた駅前空間は、近年では駅前周辺施設の発達によって動きの滞留や停止などの要因も増えている。このような具体的な条件を抽象的な空間の作り方に付与することで現実の設計にどのような利点を生み出すことができるのかを検討し、設計を進めていきたいと考えた。

本研究の計画敷地として仙台駅西口を設定した。駅前空間として交通機関が集積しているだけではなく、床面積13,304㎡という日本最大級のペデストリアンデッキを持った人の動きも非常に盛んな場所である。さらに駅前から中心街まで東西地下自由通路と呼ばれる全長392mもの地下通路が通り、地下階での移動も頻繁に行われる場所である。駅前特有の交通機関の集積、ペデストリアンデッキと東西地下自由通路によって動線は水平方向だけでなく、垂直方向にも拡大しているのが仙台駅前空間である。このような場所において様々なアプローチから動線を繋いでいくような空間の設計を進めていく。

Ⅵ.スタディ方法
Ⅵ.1.旧さくら野百貨店(敷地A)・バスターミナル(敷地C)
ここでは空間性を先行させたボリュームを積むという操作でスタディをする。計画敷地内に8000mm間隔でグリッドを設け、その中に1グリッド×3グリッド分のボリュームを配置することによって1階層分とする方法である。この操作を10階層分まで行ったところで次の操作に移る。
次の操作は「図と地」を作るという部分に重点をおいて行う。まずはできたボリュームに皮膜のようなものを被せることで境界を作る方法である。ボリュームの輪郭となる部分に点をプロットし、その点をつなぐことで形成される曲面とボリュームとの隙間にできる「図と地」を動線計画に活用する。

Ⅵ.2.EDEN(敷地B)
ここでは地面をえぐるという操作でスタディをする。積む動作と同様に計画敷地内に8000mm間隔のグリッドを設け、1グリッド×3グリッドのブロックを埋め込むように配置することで1階層分とする。この操作は地下2階層分まで行い、ブロックで囲まれた部分は地上階まで露出するようにし、最下層には地下階の庭園であるサンクンガーデンを設ける。
次の操作は地上階からサンクンガーデンまでの動線を作ることを目的として行う。操作としては配置したブロックの頂点から別のブロックの頂点までを結びできた曲線同士で曲面を作ることで行う。

Ⅵ.3.スタディ評価
これらのスタディの評価を行なっていく。さくら野百貨店跡地とバスターミナルにおけるボリュームを積むという行為はポーラス(多孔質)な空間を作り出すことに大きく関係し、建築的な観点で評価してみると採光や通風に効果的であることが分かる。都市空間での機能としてはこれらが重視される住宅、ホテルなどを考えており、ブロック単位で決まった住戸数や客室数を入れ込むことで効率的に収容人数を確保できるような設計とする。
EDENにおけるボリュームをえぐるという行為は垂直方向を意識させるような空間を作り出すことに大きく関係していると考えた。視線や動線の通り方は水平方向よりも垂直方向が中心となり、露出した地下階からペデストリアンデッキレベルの地上2階まで連続するような設計になっている。曲面による連続的な構成によって視線は自動的にその先を向くように促されるため、結果として地下階にいながらも開放的な印象を与えることができる。地下動線は今まで地下階で閉じていたものを地上階に露出させることで光の落ちる地下動線となり、閉塞的で繋がりの見えづらかった地下動線の目印となるような場になると考えた。サンクンガーデン周囲に配置したブロックには商業施設としての機能を持たせ、広場的な役割と併せて地上階と地下階の結節点となるような計画とした。広場化計画の進む青葉通とは、巨大なスロープの役割を持つ曲面で地上の広場と地下のサンクンガーデンが連続するような構成として人の動きを意識させるような様相にした。視線の通り方や動線の取り方といった表現は図4で示した通りであり、これは全てボリューム操作を基準にして考えたものである。

まとめ

Ⅵ.結論
本研究では抽象的なテーマに沿って作り出したボリュームを現実の設計に落とし込むことで、どのような効果を得ることができるのかを検討してきた。その一例として動線の集積する仙台駅西口の駅前空間を設定し、ボリュームを積むという連結することを先行させた方法による空間性重視の設計をしてきた。結論として都市空間における動線の複雑さに対して、ボリューム操作によって視認性や連続性を持たせることで新たな空間の提案をすることができた。
結論として仮想空間のボリュームを現実空間に投影する際に様々な障害が生じることは避けることのできない事実ではあるが、現実空間の条件から考えた際には決して生まれることのないボリュームを生み出すことができたのもまた事実であった。これ以降の機能的な観点からの設計にボリュームスタディを活用することに期待する。

参考文献

研究を終えて

私はこの卒業研究を通して主に設計の前段階に当たるスタディという作業に注力しました。その最中はなかなか考えがまとまらず、最終的な成果物はこれでいいのかと常に考える毎日でした。卒業研究が終わった今でも達成感と共にまだ、もっと、良いものができたのではないかと考えてしまうことはあります。しかし結果がどのように評価されたとしても、私は卒業研究の過程に一番意味があるのではないかと思います。評価されることはなかった自分自身に残る経験が、その中でなんとか形にしようともがいた事実が、確実にこれからの自分の力になっていくのだと信じています。

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