自然災害の伝承を目的とした空間の設計手法の提案
品井沼地域の水害をケーススタディの対象として
小林勇斗
平岡研究室
2021 年度卒業
自然災害の伝承空間は、客観性と主観性の両立が重要である。そこで災害伝承の目的と手法の関係に着目し、理想的な伝承空間を計画するための設計手法の提案を行った。その後品井沼地域の水害を対象に、提案した設計手法を用いてケーススタディを行った。

はじめに

 研究の背景・目的・方法

東日本大震災から10年以上が経過した。国が当初定めた復興期間が終了し、その伝承を行う環境についても整いつつある。そのため、伝承や伝承空間というものに対して、客観的な評価を行うことの可能な時期になりつつある。また現在においても、地震災害のみならず災害は多発しており、「3.11」が過去の出来事となりつつある今なお、どのようにその事実を後世に伝えるかということは課題となっている。

災害の伝承を行うための空間である伝承空間は、客観性と主観性のバランスが崩れてしまうことで、伝承を行う目的が達成されないことがある。本研究では、災害伝承に関する網羅的な調査分析より、伝承と伝承空間の役割や特性を明らかにし、それをもとに間主観的に伝承の役割を果たすことの可能な伝承空間の設計手法を提案することを目的とする。

建築学の観点から自然災害の伝承に関する取り組みや伝承空間について扱った研究は、維持管理の観点からみた災害遺構の保存に関する研究1)、震災遺構の整備プロセスにおける市民との合意形成のあり方を考察した研究2)などが行われている。一方で建築学外の観点からみた研究は、ダークツーリズムの課題と可能性について来訪者意識からまとめた研究3)、伝承空間の利用実態と利用評価に関する調査分析を行った研究4)などが行われている。本研究では災害伝承について網羅的な視点からの整理を行い、設計手法を提案する。

本研究では、自然災害そのもの、あるいはその被害や被害を受けたことにより消失した記憶等を後世に伝える手段としての「伝承」と、それを目的とした空間である「伝承空間」を研究の対象とする。

研究は以下の3つの手順で考察を深めていく方法をとる。具体的には、文献調査や事例調査に基づいて災害伝承に対する枠組みを明らかにし、それに基づいた設計手法の提案を試みる。

1)自然災害の伝承について、その手法や内容を整理するための文献調査と、実際の伝承空間の特性を整理するための既存伝承空間についての事例調査を行い、分析を行う。

2)分析に基づいて空間の設計を行うために、伝承についてモデル化を行い、そこから伝承空間を設計する手法を提案する。

3)提案した手法の有用性を検証するために、敷地を仮定して実際に伝承空間のケーススタディを行う。

調査

伝承についての網羅的な調査分析

自然災害の伝承を整理し、そこから設計手法を考案するために、災害伝承の性質について考える。災害伝承には、明確な最適解が存在しない。それぞれの状況に対して、何を伝承するべきかを決めて、それに対して適切な手法をとることで、伝承は成立する。そのため伝承をその目的と手法に着目して整理することで、伝承の大枠を捉えることが可能になるのではないかと考えた。自然災害の伝承について、その理論と実践それぞれの視点での調査を行うことが重要であると考え、災害伝承について論じられた文献と、既存の伝承空間の事例の、それぞれを対象として調査を行う。

文献については、自然災害における伝承について論じた学術論文を調査の対象とする。本調査は、様々な分野や立場からの災害伝承に関する意見を調査することを目的として行うため、対象とする文献は「CiNii Articles」において「災害伝承」でフリーワード検索を行い、かつ本文にアクセスできる文献34件とした。(2021年2月7日時点)34件を対象に、それぞれの文献で議論の対象である災害伝承が、何を目的としているか、どのような手法で行われているかを整理した。それぞれの文献の本文中で取り上げられている伝承について、その目的と手法の関係を前後の文脈から読み取り、リストアップした。

調査より、文献で議論の対象となる災害伝承は「記憶」や「風化」「防災」が目的の伝承がそれぞれ他の伝承に比較し数が多く、特に「風化」に関しては17件と群を抜いて多いことから、この目的は特に重要視される傾向にある事が分かる。一方で、文献で議論の対象となる伝承の手法は「石碑」が13件とこちらも他の手法と比較して群を抜いて多い。これは2020年8月21日より国土地理院の地理院地図で自然災害伝承碑情報について公開が開始されたことが要因ではないかと考えられる。

次に、自然災害の伝承を目的とした空間の調査を行う。自然災害の伝承空間については、阪神淡路大震災以降に事例が多く、また発災から10年経過すれば、伝承の基盤が十分に整うと考えた。そのため、対象とする自然災害は、気象庁データベース5)より、阪神淡路大震災以降100人以上の負傷者を出した地震・津波のうち、発災から10年以上経過している16件とする。自然災害の伝承空間は明確な基準が存在しない。そのため16件の災害を伝承の対象とする伝承空間については、「国土交通省都市・地域整備局」の事例紹介6)と「3.11 伝承ロード」の震災伝承一覧7)を参考に69件を対象とした。

69件の事例を対象に、それぞれの伝承空間におけるその伝承は、何を目的としているか、どのような手法で行われているかを整理した。

事例調査において、「教訓」「復興の歩み」が目的の伝承はそれぞれ20件以上存在することから、これらの目的は特に重要視される傾向にある事が分かる。一方その手法についても、「遺構」や「展示」のような手法を用いた伝承は35件以上ずつ存在することから、これらは災害伝承においてメジャーな手法であることが分かる。

本調査では、伝承の目的-手法を1対1で抽出したにもかかわらず、目的は27種類、手法は49種類とその数に差がついて。災害伝承はその目的に比較して、手法は幅が広いことが明らかである。

調査全体での災害伝承について「教訓」「復興の歩み」「防災」が目的の伝承はそれぞれ20件以上ずつ存在することから、これらの目的は特に重要視される傾向にある事が分かる。一方その手法についても、「遺構」や「展示」のような手法を用いた伝承は40件以上ずつ存在することから、これらは災害伝承において王道的な手法であることが分かった。またこれらの手法は今回抽出された目的27種類のうち約2分の3において用いられていることから、汎用性が高いことも明らかとなった。

本章では自然災害の伝承について網羅的に把握することを目的として、災害伝承に関する論文や自然災害の伝承を目的とした空間事例を対象に調査分析を行った。本章での調査分析を通じて、災害伝承の要素である目的と手法との単純な1対1の関係や、それぞれのもつ汎用性や全体での位置づけを明らかにすることができた。これらの災害伝承の要素について、1つ1つの特性と全体の相関関係を利用すれば、伝承空間設計に活用することが可能になるのではないかと考えた。しかし、災害伝承の要素は非常に多様的で、その全体の複雑な相関関係を詳らかに把握することは難しいことも明らかになった。

研究方法

調査分析に基づいた空間設計を行う設計手法の提案

災害伝承の要素である目的と手法との単純な1対1の関係や、それぞれのもつ汎用性や全体での位置づけといった、現在明らかになっている事象から、その全体の複雑な相関関係を処理し把握することが伝承空間の設計に活用するためには必要になると考えた。そこで伝承の要素の相関関係を一覧出来るように、相関関係をネットワークとしてモデル化することで、その全体を処理することが可能になるのではと考えた。

前章で明らかになった、災害伝承の要素である目的と手法との単純な1対1の関係のみでは、伝承の持つ多層性・多様性を表現することができないので、その1対1の関係それぞれを線で結び、それらを統合させることでネットワークモデルを作成した。伝承の目的と手法の関係による整理であるため、目的同士、手法同士は接続しない。またネットワーク図から全体像を把握するために、目的と手法をそれぞれ似た特性をもつ要素同士で分類し、モデル図を作成した。モデル図を作成したことで、その要素の目的と手法の関係が可視化され、より直感的に把握することが可能になった。また、災害伝承の目的と手法の関係には傾向がある事が明らかになった。「惨状」や「脅威」のような恐怖を伝承することを目的とした伝承は、「遺構」や「碑」のような現場性のある手法がとられる傾向にあることが明らかになった。一方で「経験」や「体験」といった主観的な事実や、「記録」や「状況」といった客観的な事実は、「収集」や「蓄積」「展示」といった手法で伝承される傾向がある。特に客観的な事実については、「文献」や「写真」「映像」といった資料的な手法で伝承される傾向にある事が明らかになった。一方で「防災」のように様々な分類の手法で達成されるような目的もある。

ネットワークモデルを作成することにより、全体の構成や、それぞれの要素の関係の傾向が明らかになった。目的と手法との単純な1対1の関係から、ネットワークモデルにより全体を構成することが出来たため、全体から必要に応じて部分を抜き出せば、その部分は伝承空間の設計に資するものになると考えた。その必要に応じて抜き出した一部分を「部分ダイアグラム」とし、それを作成することで、伝承空間の設計に活用する。部分ダイアグラムの作成のためにはまず、基準となる伝承の目的-手法を1セット決める(図中の赤丸部分)。基準となる伝承の要素を決定することを「入力」と呼ぶ。入力された伝承の目的と手法はそれぞれ、互い以外の相関関係を持つ。その相関関係を線でたどることを「出力」と呼ぶ。入力と直接つながった出力を第1次出力とし(図中の青丸部分)、そこから第2次、第3次とつながっていく。そうして現れた、入力と出力の相関関係の図を「部分ダイアグラム」とする。

敷地調査や聞き取り調査、既存の伝承から得た情報を入力し、そこから得られた部分ダイアグラムを用いることで、伝承空間設計のための与条件整理や、設計案の検討に活用できるのではないかと考えた。また、第1次出力の目的と手法同士で相関関係がある場合(図中の紫線部分)、その部分が伝承空間の設計を行う上で重要なポイントになるのではないかと考えた。

品井沼地域を対象としたケーススタディ

鹿島台地域の災害の多さは品井沼というかつてあった沼に関係しており、品井沼の歴史はその周辺に住み着こうとした住民の水害との戦いの歴史でもあるような地域であり、ケーススタディの対象として相応しいと考えた。

鹿島台は古くから水害の多い地域として知られているが、その背景にはかつて存在していた「品井沼」という広大な沼の存在がある。江戸時代の初め頃、新田開発が計画され、目をつけられたのが当時の品井沼である。沿線地域の水害をなくし、品井沼干拓・新田開発を目的に、洪水を松島湾に排水する潜穴工事を含む工事を実施した。やがて工事は5年の年月をかけて松島丘陵に2本のトンネルを掘り、沼の水を松島湾へ流すことが可能になった。これを元禄潜穴という。明治時代になると、この元禄潜穴に土砂や木の枝などがつまり、著しく排水が阻害され、大雨が降るたびに水害が発生した。そこで1910年完成したのが、明治潜穴である。その後干拓のために県内や県外からたくさんの人々が移住し、開墾に励んだ。これらの工事のほかに、小さな川を鶴田川に集めて高城川に流す治水工事や、低い土地の水を揚水機で吸い上げて吉田川に流すなどの工事も行った。

明治潜穴が完成したことによって、たくさんの土地が干拓されたが、それでも大雨が降ると、吉田川から大量の水が流入するのと、鳴瀬川の水が沼に逆流するために堤防が切れ、家や田畑が何度も流された。そこで吉田川を沼から切り離して、新吉田川を作り、海まで直接流すようにした。またサイフォンを作り、鶴田川の水が吉田川の下を通って高城川に流れるようにした。治水工事は現在にわたり行われ、品井沼周辺は災害と歩んできた地域である。

設計について

品井沼関連の既存伝承空間は、鹿島台地区、松島町に点在しているが、それぞれが効果を十分に発揮出来ているとは言えない。原因として、それぞれの伝承空間の連携が取れていないこと、その拠点がないことが挙げられる。そこで、既存空間を活用したフィールドミュージアムとそのポータルセンターの提案を行う。

対象の敷地は鹿島台に計画中の水防拠点の付近である。広さは約23,000㎡で、現状は水田となっている。フィールドミュージアムの拠点としての役割を持つと同時に、水防拠点との連携を図ることも想定する。ポータルセンターには、それぞれの既存伝承空間を説明するためのギャラリーを設ける。それぞれのギャラリーは、対応する既存伝承空間から得た情報を入力することで設計を行うこととした。本設計手法を用いることで、拠点のギャラリーとそれに対応した既存伝承空間が相互補完し、効果的な伝承を行うような空間の設計を目指した。

まとめ

結論・展望

本設計手法を用いることで、与条件分析やマスタープランの設計が容易になると考えられる。また主観性と客観性を両立させるような設計をする事が可能になった。

一方、課題として、本設計手法において、相関関係のネットワークは既存の伝承が下敷きとなっているため、本設計手法では新しい伝承の考え方は思いつきにくい。

そこで単純にネットワークの下敷きとなる情報量を増加させることで、新しい伝承の考え方に対応させることが可能になるのではないかという推測が出来る。しかし情報を増加させると、その相関関係のネットワークがさらに複雑になり、その取り扱いも容易ではなくなる。ネットワークを作成するうえで入力する情報を吟味し、ふさわしい線引きを行うことが、本設計手法の構築において重要なポイントである。

参考文献

1)石原凌河, 松村暢彦:維持管理の観点からみた災害遺構の保存に関する研究 雲仙普賢

岳被災地・中越地震被災地の災害遺構を事例として, 日本建築学会大会学術講演梗概集, pp.1109-1110, 2013

2)筑波匡介:中越地震における震災遺構の成立課程その1 中越メモリアル回廊妙見メモリアルパークについて, 日本建築学会大会学術講演梗概集, pp.1111-1112, 2013

3)佐々木薫子, 山本清龍, 山本信次:東日本大震災後の石巻市の来訪者意識にみるダークツーリズムの課題と可能性, 環境情報科学論文集, pp.161-166, 2018

4)門倉七海, 佐藤翔輔, 今村文彦:仙台市震災復興メモリアル施設の利用実態と利用評価に関する調査分析-せんだい3.11メモリアル交流館と震災遺構仙台市立荒浜小学校-, 地域安全学会論文集, pp.191-198, 2019

5)気象庁,「日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降)」,https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/higai/higai1996-new.html#higai1996,(参照 2021-02-07)

6)国土交通省 都市整備局 公園緑地・景観課,「第2章 復興計画等における震災復興祈念公園構想の整理」,https://www.mlit.go.jp/crd/park/joho/dl/fukko/data/fukkokouenkousou1.pdf,(参照 2021-02-07)

7)国土交通省 都市整備局 公園緑地・景観課,「第4章 過去の戦災、自然災害等からの復興を祈念又は記念する施設等調査」,https://www.mlit.go.jp/crd/park/joho/dl/fukko/data/kakonofukko1.pdf,(参照 2021-02-07)

研究を終えて

メニュー