パーソナライゼーションとは、サービスの受け手全員に同一のコンテンツを提供するのではなく、一人ひとりに合わせて異なるコンテンツを提供する手法である。
この手法はデジタルなサービス分野のマーケティング手法の一つとして一般的である。この手法の導入により多様なユーザーそれぞれのニーズを満たすコンテンツを提供できるようになりサービスの利便性が向上することが期待される。パーソナライゼーションを導入しているサービスとしては「あなたへのおすすめ」機能を備えたAmazonやYouTubeなどが有名である。
名言集とは先人の言葉を集めた引用集である。名言集は多くの書店で取り扱われている他、インターネット上には複数の名言集ウェブサイトがあり、アプリストアには数十個の名言集モバイルアプリが存在している。女優・樹木希林さんの『一切なりゆき・樹木希林のことば』が2019年『オリコン年間本ランキング』総合部門で1位を獲得するなど、名言集がベストセラーとなることも少なくない。
しかしながら、名言集の分野において、アナログなメディアである書籍はさておき、デジタルなメディアであるウェブサイトやモバイルアプリにおいてパーソナライゼーションを導入するというのはまだ一般的な手法ではない。
本研究は、名言集にパーソナライゼーションを導入することで従来の名言集には無い優位性が得られるのではないかと考えた。本研究は、表示される内容と傾向がユーザーに合わせて流動的に変化する名言集アプリケーションを開発し、その仮説を検証した。
調査
名言に関する既存研究として、佛木・萩原(2016)は「心に響く励まし文生成システム」を開発した。この研究では、既存の名言を収集・分析し、励まし文のテンプレートを作成、そこに単語を当てはめて新しい励まし文を自動生成するシステムを開発した。また高岡・灘本(2011)は「多次元感情ベクトルを考慮した名言検索手法」を提案した。この研究では、喜・怒・哀・驚・安・恥という6つの感情を次元に名言を分類し、ユーザーがなりたい気分に合う名言を検索し提示するシステムを開発した。
パーソナライゼーションの導入に関する既存研究として、岡山・小池(2002)がマスマーケティングから個人顧客にターゲットを絞ったマーケティングヘの移行の必要性を主張した。また小野(2020)がパーソナライゼーションにより従来のマスマーケティングでは満たすことができなかった千差万別なニーズを細やかに満たすことが可能になることを述べた。
研究方法
既存研究を参考にしつつ、本研究は名言が内包する人の価値観に着目し、名言を価値観によって分類することで、名言集の閲覧時に、そのユーザーの持つ価値観に近い名言をより多く含むように表示内容が変化しユーザーにパーソナライズされる名言集アプリケーションを開発した。このアプリケーションを使用し、パーソナライズされる名言集の持つ、パーソナライズされない名言集に対する優位性を、実験を通して検証した。
開発
名言データベース
本研究でアプリケーションに収録する名言には6つの評価項目のもとに価値観に関する値が -2 ~ +2 の間で配列データとして設定される。名言の評価項目は、川喜田(1967)のKJ法を参考に、複数の価値観を内包する、抽象的で、かつ対立項を持つような高次の概念を模索し、以下の6項目に選定した。評価項目を以下に示す。
- 楽観 / 悲観 : 物事の捉え方の違い
- 外向 / 内向 : 精神の向かう方向の違い
- 巨視 / 微視 : 視野の及ぶスケールの違い
- 能動 / 受動 : 行動の傾向の違い
- 利己 / 利他 : 重視するものの違い
- 理想 / 現実 : 目指す基本的姿勢の違い
これに加えて、それぞれの名言の特徴を踏まえて、収録する名言を上記の評価項目とは別に「励まし」「洞察」「教訓」の3つのカテゴリに分類した。
表1:収録した名言の種類
励まし(Encouragement) | 肯定的で、奮い立つような言葉 |
洞察 (Insight) | 批判的で、独言のような言葉 |
教訓 (Lesson) | 聞き手を想定し、教え諭すような言葉 |
パーソナルデータ作成と名言選出システム
アプリ開始時の初期設定画面で、ランダムに選出される名言の中からユーザーに「自分の好みに合う」名言を10個選んでもらい、その10個の名言が持つ価値観データの値の平均値をそのユーザーのパーソナルデータとして使用する。
本アプリケーションの名言選出システムは、形成されたユーザーのパーソナルデータの値と収録された名言の価値観データの値の相関係数(類似度)が一定以上の名言のみを選出することで、ユーザーにパーソナライズされた名言集を生成するという仕組みである。
図1: OS:Android 9 Pie上で動作する様子
開発環境
本アプリケーションの開発環境は以下の通りである。
- Unity 2019.3.14f1
- Microsoft Visual Studio 2019
- C#
- Windows 10 Home 20H2
実験
パーソナライズ機能を搭載した名言集の優位性を検証するために、名言の選出方法としてパーソナライズ・レコメンドである「好みに合わせる」と、パーソナライズ・レコメンドではない選出方法の「人間による編集」および「ランダム」の合計3種類を用意し、それぞれが実験を通してユーザーから集めた「お気に入り登録」の数を比較した。
表2:名言の選出方法3種類
好みに合わせる | ユーザーのパーソナルデータをもとに
好みに合いそうな名言を選出する。 (名言のパーソナライズ・レコメンド) |
人間による編集 | ユーザーのパーソナルデータと無関係に
人間が編集した名言集を表示する。 (既存の書籍やブログ等の名言集に該当) |
ランダムで選出 | ユーザーのパーソナルデータと無関係に
ランダムに名言を選出する。 (既存の名言集のランダム表示機能に該当) |
本研究の実験の手順を以下に示す。
- 初期設定画面でランダムに表示された名言の中から、ユーザーが任意の名言を10個選択する。
- パーソナルデータを基に、ユーザーの好みに合うようにパーソナライズされた名言集を生成し、その10個の名言の中から、ユーザーが任意の名言をお気に入り登録する。
- パーソナルデータとは無関係に、著者(小関)が編集した名言集を生成し、その10個の名言の中から、ユーザーが任意の名言をお気に入り登録する。
- パーソナルデータとは無関係に、ランダムで選出された名言集を生成し、その10個の名言の中から、ユーザーが任意の名言をお気に入り登録する。
- これを「励まし」「洞察」「教訓」それぞれのカテゴリにおいて行う。
本研究では、ユーザーによる「お気に入り登録」行為を もって、お気に入り登録された名言がその個人にとって好みに合致する、潜在的に求めていた名言だったと解釈する。実験は2021年11月10日から12日に実施され、16名が参加した。使用した名言データベースの規模は500個である。
実験結果と考察
図2:カテゴリ別・選出方法とお気に入り登録数の関係
「励まし」「洞察」「教訓」それぞれのカテゴリ別にユーザーから獲得したお気に入り登録数の分布を図2に示す。「励まし」「洞察」の名言集に関しては、好みに合うようにパーソナライズされた名言集のほうが他の選出方法で生成された名言集よりも多くのお気に入り登録を集めた。その一方で、「教訓」の名言集に関しては、好みに合うようにパーソナライズされた名言集よりも、人間が編集した名言集のほうが、より多くのお気に入り登録を集めた。これに加え「好みに合わせる」「ランダム」の中央値・第三四分位数の値は同じで、差は見られなかった。これらのことから、「励まし」「洞察」の名言集に関してはパーソナライゼーションの導入によって従来の名言集に対する優位性が得られる一方で、「教訓」の名言集についてはパーソナライゼーションの優位性は得られないことが分かった。
他の2つの名言カテゴリと違って「教訓」に関してパーソナライゼーションが有効でなかった理由としては、ユーザーにパーソナライズされる名言集は収録した名言のうちユーザーの価値観に近いような名言を選出する仕組みであるため、生成される「教訓の名言集」に含まれる名言は必然的にそのユーザーにとって自分と似た価値観の教訓が並ぶこととなり、そのような教訓ではユーザーに新しい学びをもたらすことができなかったからだと考えられる。
結論
名言集にパーソナライゼーションを導入すると「励まし」または「洞察」の名言を扱った場合、従来の名言集に比べてより多くのその個人が求めている名言とのマッチングを実現でき、ユーザーにとってより利便性の高い名言集になる。一方で「教訓」の名言を集めて表示する場合は、パーソナライゼーションを導入するよりも、従来の名言集のように人間が責任をもって編集し名言を選出したほうが、より多くの読者に響くような名言集になると言える。
まとめ
名言データベース作成の際、名言が内包する価値観に関する値付け作業は著者(小関)が手作業で行ったため、名言の値付けに作業者の主観が入る可能性がある。実験後に行ったアンケート調査では「自分の考え方に近いものが多く共感できる」「自分の価値観に合った名言だった」「自分の好みに合いそうな名言が並んだ」といった、名言集が自分にパーソナライズされていると感じているコメントが多く寄せられたが、一部「自分には合わないと感じた」といったコメントもあり、必ずしも全員に完璧なパーソナライズ・レコメンドを提供できたとは言えない。あらゆるユーザーにより完璧なパーソナライズ・レコメンドを提供できるように手作業以外の方法の導入も検討したい。
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仮説の検証のための「実験道具」から、卒展での展示のための「完成された作品」へアップデートを実施した。ユーザーテストを繰り返してアプリケーションのUI/UXの最適化を行うと同時に、データベースの規模を収録数500から1,000へ拡充した。
卒展で展示した「バージョン5.2」のキャプチャ映像(Unity)をここに残す。
卒展で得られたフィードバックを受けて、さらに改善を重ねていく。
卒展で展示した際に流していたデジタルサイネージの映像をここに残す。
参考文献
- Amazon: https://www.amazon.co.jp/
- YouTube: https://www.youtube.com/
- 2019年オリコン年間本ランキング:
https://www.oricon.co.jp/confidence/special/53961/ - 佛木 真穂, 萩原 将文, 名言の特徴分析及び心に響く励まし文の自動生成, 日本感性工学会論文誌, 2016, 15 巻, 6 号, p. 625-633
- 高岡 幸一, 灘本 明代, 多次元感情ベクトルを考慮した名言検索手法の提案, 情報処理学会研究報告. データベース・システム研究会報告, 2011
- 岡山将也,小池博,E-コマースサイトにおける優良顧客向けパーソナライゼーション(<特集>E-コマースとAI),人工知能,2002,17 巻,5 号,p.520-525
- 小野晃典,カスタマイゼーションとパーソナライゼーション,マーケティングジャーナル,2020-2021,40巻 1 号,p.3-5
研究を終えて
“もしも何かを始めてそれが上手くいったなら、次だ。同じ場所で長く闘っていてはいけない。
次に取りかかるべきことが何か見極めるんだ”
― スティーブ・ジョブズ